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クリスマスイブの今夜、あたしは準夜勤務になった。時間帯は、夕方から日付けが変わる夜中まで。
あたしと同じハズレクジを引き当ててしまった青木先輩と安達先輩との3人夜勤。
当直は外科医の浅尾先生だから、何かあっても相談しやすくてやりやすい夜勤。
それに「クリスマスに仕事だから」と浅尾先生が、準夜勤務と深夜勤務の6人のために買ってきてくれたコンビニのケーキも休憩室の冷蔵庫にある。
21時の巡視や重症者のチェックも滞りなく終えた。

青木先輩と安達先輩が休憩室から顔を覗かせる。
「宮島さん、ちょっと休憩しない?」
「あ、はい!できます!」
滅多に取れない勤務中の食事以外の休憩。
2人は「浅尾先生も呼んじゃった」とコーヒーメーカーをセットしてコーヒーを抽出していた。
ケーキがテーブルの上に並べられている。食べたいケーキを一斉に指差すと、運良く3人バラバラで、おおーっと盛り上がった。
そのタイミングで浅尾先生が「楽しそうだな」と顔を覗かせた。
先生が食べたいケーキは事前に聞いていたから、先生の前に準備して、淹れたてのコーヒーも置く。
浅尾先生のポケットマネーで購入したというコーヒーメーカーはあたしたちの団欒を豊かなものにしてくれる。

命の危機が迫った重症の入院患者はいなくて、ナースコールも鳴らない穏やかな夜。
私はコーヒーカップを両手で包み込みながら、ここに居る先輩看護師と浅尾先生が思っているだろうことを言った。

「今夜、落ち着いてて良かったですね」
「………」
なぜか3人は無言で揃ってあたしの顔を見つめた。
「え?え?あたし、何か不味いことを言っちゃいました?」
「うーん、医療従事者あるあるなんだけどね、落ち着いてるって言うと」

急にモニターのアラーム音が鳴り響く。
ナースステーションに並ぶ心電図モニターのうちの1台に頻脈が見られ、それがアラームの原因だった。
あたしの受け持ち患者さん!21時は異常なかったのに!
「バイタル測ってきます」
急いで血圧計を持ちに行ったあたしに、「待って」とストップをかけたのは浅尾先生。
「宮島さん、12誘導とって」
「え、」
研修で12誘導心電図を習ったけれど、実際の患者に行ったことはない。
まして、今、不整脈が出現している患者さんに、あたしが?
「大丈夫。致死的な不整脈じゃないから。落ち着いてとっていいから」
浅尾先生が安心させるように微笑む。
あたしのプリセプターの青木先輩もその言葉に同意した。
「宮島さん、12誘導やってみて。主治医の浅尾先生が当直で、点滴ルートも入っていて、落ち着いた状態でできる良い機会だから」
「わかりました。やってみます」
おぼつかない手技ながらも、なんとか12誘導をとり終える。患者さんは、頻脈以外には一般状態も安定している。

浅尾先生に12誘導の波形を確認してもらっているとき。
ドスンッ!
大きな物音がした病室へ看護師3人で走っていく。
「大丈夫ですかっ!?」
患者さんがベッドのそばに転倒している。
また私の受け持ち患者さん…
ただ落ち込んでいるわけにもいかず、ボディチェックを行いながらベッドへ誘導する。
浅尾先生が病室に顔を覗かせた。
患者さんは、床の危険察知用のセンサーマットのブザーを鳴らしたくないがために無理に足を伸ばして、足が引っかかって尻餅をつくように転倒してしまったことを報告する。
患者さんの診察をした後、先生はレントゲンをオーダーした。
「レントゲン次第かな。痛みが強くなったりしたら教えてくださいね」
あたしはレントゲン技師さんの介助をした後、ベッドから降りようとした理由を聞き出して対応する。他に考えられる諸々をお手伝いして、用事があるときはナースコールを押してもらうように依頼する。

ナースステーションへ戻ると、浅尾先生の医療用のスマホが鳴った。
え、今のレントゲンで骨折があったとか?レントゲン技師からの報告を疑って、看護師3人で顔を見合わせる。
浅尾先生が通話を切って、あたしたちに告げた。
「急患。急性アルコール中毒」
「あーー」
クリスマスイブだから、羽目を外した人が運ばれてくるのね…。
「入院はうちの病室になるから」
「わかりました。準備します」
「よろしく。若い男性らしいから、皆んな気をつけて。困るようなことがあれば、俺や、他の病棟の男性スタッフの応援を呼んで」
「ありがとうございます」
浅尾先生がテキパキと指示を飛ばしながら、電子カルテをチェックする。
「骨は大丈夫そうだけど、痛がり方や動きによっては、整形外科の紹介をするから注意して」
「はい」
「宮島さん」
浅尾先生があたしを呼んだ。
「転倒は良くないことだけど、宮島さんのせいばかりじゃないよ」
「え?」
「もともとセンサー対応するくらい、危険な行動をするかもしれないと予測できる患者だったんだ。そういう人を1人で防ぐことはまず無理だよ。幸い大きな怪我はないから、今回のことをフィードバックして次に繋げていこう」
「はい。わかりました」
先生は微笑んで、あたしの肩をポンポンと軽く叩いて、夜間外来へ足早に歩いて行った。

初めて経験する急性アルコール中毒の患者の対応はとても厄介だった。
大きな声で叫ぶ、暴れる、点滴を抜こうとする。ベッドに寝てくれない。
外来から男性技師さんが付き添ってくれて、危険のないように押さえつけてくれるけど、酔って力加減が制御できない感じで、あたし達も押さえなければいけなかった。
「治療に協力できないようなら、帰宅してもらうことになりますね」
浅尾先生が付き添いの友人に告げる。
「朝まで様子を見ようと思いましたが、これ以上スタッフに危険を及ぼすようですと、見過ごすことはできません」
毅然とした態度に、あたしが浅尾先生に気を取られた瞬間だった。
!!
お尻を触られた。見えてないけど、絶対に!
あたしは反射的に患者から手を離し、距離を取った。

浅尾先生があたしと患者の間に立ち、あたしを先生の背後に隠した。
「あなたがしたことは立派な犯罪行為です。退院させます」
「でも先生、」
友人が困惑して何かを話そうとしたものの、先生の背中に立つあたしでさえ、先生が怒りのオーラを纏っているのがわかった。
「スタッフに危害を加えた時点であなたを患者として診ることはできません。今夜の病院の責任者は私です。退院してください」
浅尾先生に言い切られて、友人は諦めたようだった。
浅尾先生が点滴の速度を速める。
「終わったらナースコールを押してください」
友人が頷いたのを見届けて、先生はあたしに「行くよ」と小声で言って病室を出た。

廊下に出ると、先生に手を握られた。
「せんせ…」
「着いておいで」
先ほどまでとは異なり優しい声音で、あたしの歩くスピードに合わせて少しゆっくりめに歩いてくれる。
着いていくと、ロビーの自販機前だった。
「ココア飲める?」
「あ、あたし、お金…」
「良いって」
クスッと笑って、先生に椅子へ座るように促される。黙って従って先生を見上げると、先生は小銭を入れてホットココアのボタンを押した。紙コップがコトンと落ちて、ココアが抽出されるのが見える。
はい、と渡されて受け取った。温かい。水面が小刻みに揺れている。
「ごめん。怖かったね」
「……いいえ」
小さな声で否定したけれど、本当は怖かった。先生が怖かったのか、アルコール中毒の患者が怖かったのか。多分、両方とも。
今夜は色々起きすぎて、あたしのキャパオーバーだった上での、セクハラだった。
「ココア、飲んでみて。落ち着くから」
「はい」
先生が少し切ない表情をしているのに気づいた。
「さっきの患者が入院する前に、先生が気をつけてって言ってくださってたのに、あたし、気をつけられなくてごめんなさい」
「…難しいよな。患者の危険を防ぎたいし、夜中だから他の患者を騒音で起こしたくないし。さっき、転倒があったばかりだから余計に」
「はい…」
「常識が通じない患者はいるんだよ。アル中なんて、最たるものだと思うけど。
今夜、病院で起きたことの最終責任は俺だから、ああいう患者は最初から男性スタッフだけの対応すれば良かった。その判断をしなかった俺のせい」
「そんなこと、」
「宮島さんが責任を感じる必要はないよ。やられた方が責任を感じるなんておかしな事だから」
「そしたら先生も、ですね」
「確かに」
不思議。浅尾先生と会話していたら、手や足の震えがおさまってきている。忘れられない出来事にはなったけれど、でも、次は、もう少し上手く対応できる気がする。浅尾先生が、その勇気を与えてくれた。

ナースステーションに戻る途中、先生が軽口を叩いた。
「散々なイブの夜だったな。宮島さんが、今夜は落ち着いてる、なんて言うから」
「あたしのせいですか?」
「病院あるある。落ち着いてるって口に出すと、何かが起こりがちなんだよ。偶然なんだけど、昔からどこの病院でも言われててさ」
「…もう二度と口にしません」
「そうだな。それが良い」
先生がおかしそうに笑ってくれて、あたしも笑顔になる。色々、予想外のことが起きたけれど、今夜のことを教訓に頑張らなくちゃ。

ナースステーションでは、青木先輩が出迎えてくれた。
「宮島さん、大丈夫?さっき震えてたよね。ごめんね」
「いえ、大丈夫です。心配かけてすみません」
「良いよいいよ。落ち着いたなら良かった。浅尾先生もありがとうございます」
「ああ。キミたちは何もされていない?」
「私たちは大丈夫です」
「良かった。あの患者が退院したら、休憩しない?」
「良いですね。とりあえず巡視回ってきます」
「3人とも巡視行って来て。俺はカルテ入力しているから、何かあったら呼ぶよ」
「ありがとうございます」

あたしたち看護師はそれぞれの受け持ちの病室を回って異常がないか確認する。
今度こそ、何も起きないように、しっかり確認することを心がけたら、普段よりも遅くなってしまった。
そんなあたしに「お疲れさま」と声をかけてくれる先輩や浅尾先生。
保温しすぎてやや煮詰まり気味のコーヒーはほろ苦さを通り越している。さっき甘いココアを飲んだから、余計に。
青木先輩や安達先輩には、あたしのケーキの食べが良くないと心配された。あたしは夕食の量が多かったからだと答える。
本当は、持参した夕食なんてペロッと食べちゃったけれど。

浅尾先生をチラッと見る。文句も言わずに煮詰まったコーヒーを素知らぬ顔で飲んでいる。横顔、カッコいいなぁ。
…自分の思考にビックリした。確かにとてつもなくイケメンだけど、仕事中に見惚れたことなんてなかったのに。
それに…食べられない理由を夕食のせいにしてしまった。
浅尾先生がココアを奢ってくれたことを、何故か、自分と浅尾先生の2人の秘密にしたかった。浅尾先生は何とも思っていないだろうけれど、優しかった浅尾先生を、自分だけの思い出にしたい。

「ご馳走様。帰り、皆んな気をつけて帰って」
「はい。ケーキご馳走様でした。ありがとうございました」
立ち上がってペコリとお礼する。
浅尾先生は当直室へ戻って行った。

初めて尽くしだった、看護師1年目のクリスマスイブの夜勤。
学びが多く、先輩たちの温かさや、浅尾先生の人となりを知ることができた。正義感が強く、スタッフを大切にして、毅然として、とても優しい。おまけにカッコいい。
あたしの胸の音は正直に、とくんとくんと大きく速く鳴り響く。
でも、先生は結婚しているから。
あたしは今夜だけ、先生に恋をして、そして忘れることに決めた。

イブの夜は聖なる夜。
朝にはきっと、外科医の1人になっている。
今夜だけは、嘘をつかないで、浅尾先生に恋していたい。
誰にも言わずにそっと、内に秘める恋を。



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12/25/2024, 3:41:01 PM