海月は泣いた。

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日の出


彼の横顔がオレンジ色に染まっている。整った完璧なEラインを日の光が縁取っていて、それがあんまりに美しかったから日の出なんかそっちのけでずっと彼に見蕩れていた。僕の熱烈な視線を誤魔化せなくて、彼は居心地が悪そうに目を泳がす。いつもはあまり動かない表情筋がぐにゃぐにゃ動いて、名前もつかないような絶妙な表情をさせた。その顔をさせたのが僕なんだと思うと胸が焼けるように熱くなる。
「…あんま見んなよ」
「だってすごく綺麗だから」
日の光のせいで彼が照れてるのか照れてないのか分からない。照れた彼の頬の赤が見れなくてもどかしい。もっとよく見せてもっと僕を見て、と欲張る気持ちが抑えられなくなって頬に伸びる手を抓って我慢するのに必死でいよいよ僕は日の出の存在を忘れていた。
「俺より、日の出見ろよ」
彼は僕に見つめられるのに慣れたのか飽きたのか、またさっきみたいに前を向き直して光を見ていた。僕はというとずっと横顔に魅了されていた。彼の顔は確かに人間らしいのに、どこか無機質でひやりとさせられる。欠点が見つからない整った顔立ちと何を考えているのか分かりずらい表情が混じりあって、その全てが絶妙なバランスで、言葉で形容できない魅力がある。それは神様が完璧な調合で作り上げた姿のような、天才的な発明家が理想を尽くして作り上げたロボットのような…。そんな、奇妙なほどの美しさと少し危うい繊細さの結晶だ。自分なんかが近づいてはいけないのだと思わせてしまう強烈な美しさに誰もが打ち震える。彼の放つ鮮烈な青の麗しさには誰もが惹き込まれ、花も蝶も息を飲むのに、なぜだか彼の周りはいつも静かだった。一人で凛と背筋を伸ばし悠々と歩く姿を初めて見た時は、僕は衝撃で目の前の景色を疑った。こんなに美しい人を誰一人追いかけないのはなぜだ。僕がもしこの場に百人いたら彼を囲って逃げられないようにして、どんなに嫌な顔をされても、もう一度出会えるようにして離さないだろうと思った。そして、実際にそうした。残念なことに僕はたった一人だけだったが、彼を必死に追いかけ汗をみっともなくダラダラと流しながら、周りをうろつき、問い詰めた。
名前を教えてください。何歳ですか。どこの大学ですか。今日は何をしに来たんですか。これからどこへ行くんですか。そう早口で叫び続ける僕を彼は心の底から不審そうに見て嫌そうに顔を歪めた。この変なやつを振り切ろうと彼は走りだしたけど、生憎僕は足が結構早い方であったから、簡単に追いついてしまって、二人息を切らしながら真昼の東京で追いかけっこをした。(彼からすればただ不審者に追いかけられただけであり、通報されてもおかしくなかった。通報されなくてよかった。)そうしている内に、息も絶え絶えになって二人して路地裏の地面に寝っ転がる。寝っ転がった姿で咳き込みながら、僕が彼に名前を何度も尋ねるから、いよいよ彼は諦めて、顔に見合った綺麗なテノールを揺らしながら綺麗な名前を口にした。綺麗ですね、顔も姿も名前も声も。と言った僕を見た真っ直ぐな瞳が今でも忘れられない。それは、彼の瞳の中がトロトロと蕩け出しそうな位に甘い色をしていたから。何て返したら良いか分からずに震える唇も、僕の顔を見れずに定位置を失った黒目も、じんわりと内側から染まっていく頬も、全てが僕が想像した反応の真逆だったから、びっくりして言葉を失う。僕は言われ慣れてるだろうと信じて疑わなかったのに、まるで初めて言われたみたいな初々しい反応をされたから、驚いた。本当に、彼は初めて綺麗だ、と美しい、と言われたのだ。彼があんまりに美しかったから、誰もがそんな陳腐な言葉言われ飽きただろうと思って言わなかったのだ。だから、信じられないことだけど、彼のその美しさを真正面に言葉にしたのは僕が初めてだった。そう付き合い出した頃に、彼に言われた。
強そうに見える彼は実は誰よりも弱く脆く寂しがり屋で、それを誰も見破ろうとしなかった。彼の瞳の奥のドロドロとした熱と押し込んだ感情を見ようともしなかった。寂しさなんて知らないと言い張った爪先を僕だけが見逃さなかった。
「ねえ」
「はい」
「何考えてるの?」
僕は微笑む。僕が彼の隣に当たり前みたいにいれるのが嬉しくって幸せで仕方がないんだ。
「貴方のことだよ」
僕はいつも貴方のことばっかりだよ。止まることを知らない思考が僕の頭の中を貴方への愛で満たして、僕はいっつも心臓が痛くて痛くてしょうがないんだ。貴方への愛に押し潰されそうな勢いなんだよ。彼に出会ってから僕は寿命がほんの少し短くなったかもって思うくらい。
そんなことを言ったら彼は怒るだろうけど、でも、僕はその位貴方のことがこんなに切なくて苦しいくらいに好きですって心臓をくっつけて伝えるよ。
「好きだよ」
…ほら、その照れた顔が緩んだ口角と優しい瞳が、僕をおかしくさせる。来年もここに来ようね。来年もこうして日の出を見つめる貴方の横顔を見て、貴方と同じ会話をして、デジャブだねって笑い合って、好きだと伝えて、照れた瞳に見蕩れていたい。ううん、やっぱ来年だけじゃなくて、この先ずっとずっとそうして貴方の隣にいたい。
柔らかく微笑んだまま俺も、って囁かれて今度は僕が耳を赤くした。眩しいオレンジの光を背にして、僕らはこっそり手を繋ぐ。貴方の存在全てが、どんな眩しい光よりどんなめでたい景色より僕を虜にしてやまない。

1/3/2024, 4:32:05 PM