『届かぬ想い』
「いらない」
私は人生の中一番驚いた、と言っても過言ではないだろう。
私からのバレンタインのチョコを貰えるなんて、限られている。
なんせ私は陰キャだから友達も少ないし、心を許した相手でなければ絶対にだめだと、自分で決めている。いや、決めているのではなく、そうなってしまったのだというのが、正しい事実である。それに伴った私の性格も同様である。
そんな私のバレンタインの数少ない手作りチョコを断るとは。
「俺、お返しするの面倒だから」
あ、それわかる。
と思わずど賛同してしまう私。なんて素直なのと、自分を褒めてしまう私は嫌いではない。世の中では、ここ数年多くの若者の自殺死亡者統計では右肩上がりになっている。これは、インターネット社会に移行したことも要因の一つであろうが、自分を自分認識すること、また認めることができなくなっていることが挙げられるだろう。
日常生活送る中で、昔に比べて肉体的な疲労から、精神的ストレスへとシフトチェンジしたことで、より自分に負担がかかるようになってしまったのである。
一般的に言われていることは、身体の傷は治っても、心の傷は消えないということ。
だからよく自分を「すごい」「天才だ」と言っている人がいる傍から見ればナルシストで片付けられてしまうがこれはその人にとっては重要な自己存在理由であり、価値があるということである。
さて話を戻そう。
私は今、数少ない男の子の友人に対してチョコをあげようとしていた。
だが、すんなりと断られてしまった、という場面である。
断った理由は[お返しが面倒]。
やっぱりそこだ。
私はちなみに面倒臭くはない。
なぜなら友達少ないから。
お返しとして用意する量も少ないのだ。
だが、一般人は違う。義理を貰いすぎると、その文返さなくてはいけないという衝動に歳悩まされてしまう。しかも、皮肉なことに貰った量があげた量がよりも上回ってしまった場合なんて、考えただけで鳥肌が立つ。
この世の中置いて、全ての人間が平等に生きているわけではない。手に入るお金だってそうだ。
だから、人間はチョコ貰う場合、お返しをする代行案を考える、もしくはもらわないことを選択せざる得ない。
今回の場合は後者である。
しかし。
何事にも例外はある。
ゲームで言う隠しコマンド、切り札ってものだ。
私だって自分にのチョコは人にあげたい。
だから私はこう言った。
「お返ししなくてもいいから。受け取って欲しいの」
精一杯自分に顔が思う最高の笑顔でもう一度チャレンジする。
彼はどうするか。
「……わかった。貰ってやる」
やった、と喜ぶ反面彼の顔は笑っていないのが、気に食わないけど。
それでも受け取ってくれたことに感謝しないと。
「ありがとう、貰ってくれて」
私はすぐにお礼を言った。
素直だから。
素直って素晴らしいと、自分の行動を褒める。
だからかな。
チョコを貰った男の子は私の目の前で、チョコの入った紙袋を踏む潰した。
「お前、顔キモいくせに話しかけんなよ」
男の子の言葉は私に素直に届いた。
心の傷は治らない。
私の前から男の子は去って行った。
私は潰れた紙袋を拾ってその場をあとにした。
これは私の人生の一部でしかないことにを自覚したことで、自分を肯定した。
読んで下さりありがとうございました!
4/15/2023, 12:06:04 PM