小児科医の僕は、看護師の宮島さんが自閉症児の歩(あゆむ)くんとプレイルームの片隅に並んで座っているのを見て少し驚いた。
『部屋の片隅で』 -泣かないで 関連作品-
小児科病棟の改装工事に伴い、外科病棟50床のうち25床を小児科病棟にして、患児の引越しは昨日行われたばかり。子どもの健全な成長のためには安全な遊び場が必要で、昨日、急ピッチで外科病棟のロビーの半分をプレイルームとして仕切った.。そこにカーペットや遊具、おもちゃ、絵本、幼児用の椅子やテーブルを置く。
昨日さっそく、小児科スタッフ付き添いのもと、子どもたちに遊んでもらって安全性が確認できた。
「たかひろ先生、あそぼー」
子どもたちから声がかかり、プレイルームに上がり込んで遊び相手になる。忙しい小児科医の業務の中で、子どもたちの元気な姿が僕にとっての癒しの時間。もちろん、病気の悪化や怪我をさせてはいけないため、子どもたちの観察には余念がないけれど。
内科的疾患のある自閉症児の歩(あゆむ)くんは昨日も今日もプレイルームに来ていない。改装工事前の小児科病棟のプレイルームでは、誰かと関わることはなかったけれど、部屋の片隅で子どもたちや外の景色を眺めていた。
環境に慣れるまで時間のかかる子だから、様子を見るしかないか。
僕はこの後で歩くんの病室を覗くことに決めた。
病室の扉をノックしようとして、明るい話し声に一旦ノックを止める。
外科ナースさんが「今日から2週間小児科を担当します」と挨拶する声が聞こえた。小学校高学年や中学生の子は内科病棟に入院していて、そちらにも小児科ナースが配属されている。外科小児科混合病棟の間は、外科病棟のナースも小児看護と外科看護をローテーションで受け持つことになっていた。
「あゆみです、宮島歩。あゆむくんと似てるね」
「あゆみとあゆむだもんね。あゆむは、漢字一文字で歩くなんです」
「あっ、私も歩くって書くんです!一緒ですね!」
宮島さんはお母さんと楽し気に会話をした後、「プレイルームにいるから来てね」と病室を出た。
病室の前にいた僕と鉢合わせる。ペコっと会釈され、プレイルームに行く後ろ姿を見送った。歩くんの場合、最初は小児科ナースと一緒に挨拶した方が良かったんじゃないか?お母さんは気にかけていない様子だけど…と思いながら、ノックして病室に入る。
「歩くん、こんにちは」
ベッドの片隅で歩くんは体育座りをしている。歩くんの定位置。いつもと違うのは、手には1枚のメモ用紙が握られている。
「それはなぁに?」
手元を覗き込むと見せてくれた。『あゆむ』『あゆみ』1文字違いの名前が読みやすい綺麗な文字で並ぶ。
「さっきの看護師さんが渡してくれたんです。と言っても、歩の隣にそっと置いてくれたんですけど」
それを歩くんが持ち続けているのか。
「佐々木先生…歩さん、歩と合うかもしれません」
「えぇ。…お母さん、歩くんがメモをずっと持っているようでしたら、プレイルームに行ってみても良いかもしれません」
「……そうですね」
歩くんが外科小児科混合病棟に慣れるのは意外に早いかもしれない。
プレイルームの前を通る。宮島さんは、子どもたちに囲まれて一緒に遊んでいた。楽しそうに、嬉しそうに。子どもって可愛いもんな。僕は気づいてくれた子たちに手を振る。宮島さんはペコリと会釈した。
次の日、プレイルームではいつものように子どもたちとお母さんお父さん、小児科スタッフがいた。部屋の片隅には、歩くんと宮島さん。歩くん、来られたのか。少しの驚きを持って二人を観察する。何かをするわけではなく、歩くんはプレイルームの様子を眺めているようだった。それは歩くんのいつもの光景。
ただ違うのは、歩くんが宮島さんの隣にピッタリ寄り添って、宮島さんはただそれを受け入れていることだった。一緒に遊ぼうとも誘わず、膝の上に乗せたりもせず、ただ、歩くんの隣にいてあげる。今の時期の歩くんにとって、それが最善に思えた。お母さん同士で話している歩くんのお母さんに声をかける。
「歩くん、来れましたね」
「はい。ずっとああしてるんですけど、歩さんも付き合ってくれて」
「安心してるんでしょうね。少しずつの成長を見守っていきましょうか」
「えぇ」
部屋の片隅から見る歩くんの世界。
そこにそっと入った宮島さん。
歩くんの世界を邪魔することなく、にこやかに微笑んで一緒にいてくれる。
宮島歩さんか…
顔と名前を覚えたばかりの僕が、どんどんキミに惹かれていくのはまた別の話。
部屋の片隅で -泣かないで 2024/12/01-02 関連作品-
12/7/2024, 11:52:28 PM