酔生

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人間の記憶が「データ」として管理されるようになった。そのデータは保存できる容量に限りがあり、そこで政府は「忘却税」という制度を導入し、国民は定期的に記憶を消去しなければならなくなった。人々は月に一度、政府指定の「記憶整理センター」に赴き、不要な記憶を選んで削除することができる。幼少期の些細な記憶、かつては好きだったあの人の記憶、昨日食べたご飯の味___そうした「価値の低い記憶」を消すのが一般的である。辛い記憶は消すことが出来る。だから人々は、口々に言う。「幸せ」だと。


_でも。私は時々思う。本当に幸せなのだろうか?以前の人々はすべての記憶を保持し、辛かったことも、嬉しかったことも、忘れたいことも、全部そのまま抱えて生きていた。そんな彼らは不幸だとでも言うのだろうか。


もし、記憶が私という存在を形作るのなら、私という存在はどこまで「私」でいられるのだろうか?

簡単に悲しみを消せる。簡単に消したいものを消せる。けれど、その悲しみを消して、良い記憶だけを残していったら、それはもう自分じゃないような、チグハグで空っぽな何かになってしまう気がしてしまうのである。

かつて愛したものの記憶を消したら、それは「愛した」と言えるのだろうか……。そんなことを考えてしまうのだ。

もし幸福が、記憶の上に成り立つのだとしたら、私たちは最早本当の意味での幸福を知ることは出来なくなった。


幸せとは、苦しみの不在ではなく、苦しみと共にあるのだとしたら____。私たちは幸福になる度に、幸福を失ってしまっている。


……私は今、絶望を感じた。もうこの記憶は消そうと思う。

3/25/2025, 2:10:25 PM