名前を呼ばないでください
足元がジャリジャリする。それだけではない。大小様々なゴミが一面に広がってる。ガラスが割れる感触。グシャッと潰れて硬いものが折れる、飲み物の缶かな。板のようなものが撥ねる。柔らかい感触に足が滑る、布かな。柔らかいものを踏み抜く……鼠か……。一歩一歩、次は何を踏むのか身構える。壁に手をつくと、これもザラつく感触、埃?煤?なにか空から落ちてくる。
前には小さな背中。この足元をスイスイと歩く。何もないかのように。
「……ねぇ、まだなの?」
上からの埃が入らないように、なるべく口を開けないで聞く。
「……」
しかしそんな問いかけなどないかのやうに一言も上げない。
「ねぇ!」
こんなところを歩かせておきながら、何の説明もないなんて!
置いていかれないように足を運ぶ。パリン、とガラスが割れる。
「……」
アキラは少し振り返り、細い目をこちらに向け、また前を向き歩いていく。
「ちょっと、なんなの、いい加減に……」
と言った瞬間、前が明るくなった。両脇の壁がいきなりなくなった。
目が開けられない。
薄く目を開けると、アキラがこちらに目をやった。
「……こちらです」
軽く顎を向けた先には、家並みが広がっていた。
「……ここが……」
黒い瓦が白く縁取られている。薄茶色の土のような壁が柔らかく丸みを帯びた壁。小さな窓にはガラスが嵌め込まれていた。どれも平屋建てで低い塀で区切られている。10棟より多いかな……
「クニムラです」
一瞬遅れて漢字を思い出した。久邇村……依頼を受けた村だ。
「区長には声をかけています」
高く澄ました声。その声に足を踏み出した途端。
「名前は呼ばないでくださいね」
え、と振り向くと、アキラは薄く微笑んでいた。
「それは、どういう……」
「これから会う人の名前を呼んではいけません。私の名前も、ヒトシさんの名前も、そしてあなた自身も」
すっかり立ち止まってしまい、アキラの顔を見る。
「どういうこと?」
「名前を教えると、取り込まれてしまうんですよ」
取り込まれる……?誰に?
「……私は仁志さんを取り戻しに来たんだけど」
「ああ……」
アキラの顔から表情が消えた。
「言ったのに……」
その途端、家の奥から腕が伸びた。私の腕を掴み、引き込もうとする。足を踏ん張り抵抗しようとするが、力が強い。ズリ、ズリと家が近づく。
「いや!やめて!ちょっと、これはどういう!アキラ!ねえちょっと!!」
さっきまで通っていた壁の向こう側で、アキラの声が響く。
「ホラ、また」
なんで!名前を呼んだらこんなことに!!
「だからあなたに名前を教えたんですよ」
含み笑いの声が響く。
黒い手が無数に私を掴む。引き摺られながら、その声を聞いていた。
やられた、やられた!この先には行きたくない!なにか、そんな気持ちがする!
5/9/2026, 12:28:48 PM