〈楽園〉
すえっちから連絡が来たのは、金曜の夜だった。
「久しぶりに集まらない?
来週の土曜、みんなに声かけてみるんだけど」
スマートフォンの画面を見つめながら、私は少し考えた。
《来週の土曜》。特に予定はない。三十二歳の週末なんて、たいていそんなものだ。
結局、集まったのは六人だった。高校のクラスメートで、卒業後もなんとなく続いているグループ。
最近は年に一度あるかないか、そういう集まりになっていた。
駅前の居酒屋に入って、最初の一杯を頼むころはよかった。近況を報告しあって、久しぶりだねと笑いあって。でも一時間も過ぎると、会話は妙な感じになってきた。
仕事の話をすれば愚痴になる。私もそうだし、向かいに座っているはっしーも、隣のたなりんも、ため息まじりに職場の話をする。
上司が、取引先が、評価が、将来が。そういう言葉ばかりが並ぶ。
すえっちは五歳の子どもがいるけれど、今夜は旦那さんが実家に連れて行ってくれているらしい。
「少しは自分の時間を楽しんでおいで、って言ってくれてさ」とすえっちが笑った。
私は、いいね、と返した。声のトーンはちゃんと合っていたと思う。でも、胸の奥のどこかがかすかに軋んだのを、私は気づかないふりをした。
のろけに聞こえてしまうのは、たぶん私が僻んでいるからだ。すえっちのせいじゃない。
結婚している子たちは、私たち独身組を気遣ってか、家族の話をあまりしない。その気遣いがありがたくもあり、少し寂しくもある。
気がつけば、話題を探すのが難しくなっていた。昔はあんなに話すことがあったのに。
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帰り道、私は少し遠回りをした。
電車に乗る気になれなくて、夜風に当たりながら歩いた。
繁華街を抜けると、住宅街の細い道に出る。街灯がぽつぽつと続いていて、どこかひっそりとしていた。
高校の頃を思い出しながら歩く。
放課後の教室。
部活も委員会もない日、帰ろうと思えばすぐ帰れるのに、なんとなく誰かが残っていた。黒板の端に誰かが書いた落書きが消されないまま残っていて、外から運動部の声が遠く聞こえた。
すえっちとか、はっしーとか、その日いた何人かで机を寄せて、とくに理由もなく話した。
コンビニで買ったスナック菓子を机の上に広げて、先生に見つからないようにこっそり食べながら。
話していたのは、たわいもないことばかり。好きなテレビの話、気になっている人の話、将来なりたいものの話。
進路のことを考えなければいけない時期だったはずなのに、どこか遠い夢を語るほうが先に立った。
なんにでもなれる気がしていた。なんにでもなれると信じることが、まだ許されていた。
──あの場所は、楽園だったのだと思う。
今になってわかる。
あの放課後の教室には、まだ《何者でもない自分》がいた。
何者でもなかったから、何者にでもなれた。傷つくことも、傷つけることも、まだほとんど知らなかった。
****
家に帰って、鍵を開けながらスマホを取り出した。
グループのトークに、すえっちからメッセージが届いていた。
「今日は楽しかった! また集まろうね」
スタンプや絵文字が続いて、他のみんなも返事を送っていた。
はっしーの「楽しかった、次は来年?笑」というメッセージに、たなりんが「早すぎ笑」と返している。
私はしばらくその画面を眺めてから、部屋の電気をつけた。
楽園は、もうない。あの教室も、あの時間も、戻らない。でも、今夜みんなと話しながら愚痴をこぼしたことも、うまく話題が続かなくて少し黙ったことも、それはそれで悪くなかったと思った。
楽園じゃなくても、ここにいる。
それでいい、と思うことにした。
私はトークに短く返事を打ってから、スマホを伏せて、ソファに腰を下ろした。
──今いるところが、楽園だ。
5/1/2026, 3:53:38 AM