失われた響き
十二月。新しい年を迎えるに当たって始めた大掃除。手始めにと開いたのは一人暮らしには少し大きい冷蔵庫の中身。一念発起、料理をしようと気合を入れたはいいものの、現状ほぼドリンククーラーとなりかけている。
秋に買い込んで残り三本になってしまった季節限定の缶チューハイに、クーポンで安く買ったビール。ちょっとした出来心で買って一度しか使っていない調味料に、数少ない自炊と言い訳している麦茶のボトル。後は昨日買い込んだ総菜が少し。
すかすかの冷蔵庫から全て取り出して、簡単に棚を拭き上げてから元の所に戻していく。
一回分しか減っていない調味料は賞味期限を確認して元に戻した。きっと使わないけれど、もったいないから。誰にともない言い訳をする。
スパイスの香りが強すぎた。ふわっと香る東南アジアを思わせる香辛料はどうしても好みとは正反対だ。けれど少しでも背伸びをして好きだと言いたかったのだ。
ビールの苦味が好きだと言える大人になれたのだから、八角のエキゾチックな香りも、唐辛子のピリッとした辛味も好きになれると思った。
多分そんな日はこないのだろう。心の何処かで自覚しながらも、結局綺麗に拭き上げただけの冷蔵庫の扉を閉じた。
続いて下の段に取り掛かる。
何も入っていない製氷機を拭き上げて、その隣の冷凍室から冷凍食品群その一を取り出してまた拭き上げる。
冷凍食品群その一は入れ替えが激しいから期限チェックはしていない。値段が安くて、自分の好みで、ちょっとご飯が足りなかったときに追加で解凍して食べる用。からあげ、ミートボール、ハッシュドポテトに一口グラタン。子供の頃から好んでいる馴染んだ味たちを閉まっていく。
実家にいた頃、幼い頃から食べていたから中々手放せない。ここの扉のストックだけはいつも切らさないようにしていたから、少しぎゅうぎゅうだ。
バタンと閉じて、次にその下の大きな冷凍室を開ける。
バニラ系のアイスクリームに冷凍食品群その二。
あとは冷凍したら消費期限はなくなる。そのなんとなくの思い込みで詰め込んだままの卵白、クッキー生地、余らせてしまったパスタのソース、大袋で買ってしまったパン。
タイムアウト。時間切れ。流石にもう駄目だろう。
クッキー生地なんて一回年を跨いでいる。お腹を壊して苦しい思いをしたい訳ではない。
まだ腐臭はしないがきっと変質してしまっている。異臭を放ってしまったら本当の終わり。そうなってしまう前に、まだ食べ物のとしての体裁を保っている間に冷凍庫から取り出していく。
拭き上げて、アイスと冷凍食品群その二だけになってしまった冷凍庫を閉じる。隙間が多く、ひどく寒々しい。裏寂しげな冷凍ピラフと目が合った。
ついでに先ほど冷蔵庫に戻したほぼ未使用の調味料も取り出してしまう。勢いに乗せて捨ててしまおう。そうしないとこれもきっと駄目になってしまうだろう。
すっかり物が減ってしまった。もう冷蔵庫本体も買い替えてしまおうか。そう簡単に捨てられるものではないがひと回り小さくしてもいいかもしれない。
一人暮らしの部屋はそう広いものではない。背の高い冷蔵庫は存在感も物理的な大きさもある。小さくして模様替えをするのもいいかもしれない。
いっそ部屋ごと。そこまで考えて頭を振った。流石に非現実的すぎる。
生ゴミの袋を取り出して、好きになれなかった調味料と消費期限などとっくに切れてしまった冷凍庫の中身を捨てていく。
ふっと息を吐き出して袋の口を縛る。
見えなくなってしまえば、捨ててしまう後悔も罪悪感も少しだけ薄くなる。
冷蔵庫に入っていた月日だけ募った感情の底はもうとっくに取り出せない所だ。少しずつ風化させてなくしていくしかないのだろう。
袋をごみ箱へと入れて蓋を閉じた。
11/30/2025, 3:36:59 AM