「ミオリは絵が下手ね」「また何か描いてるの?」「そんな意味のないことしてないで、将来のためにお勉強しなさい」
それはある種の呪いになって、私の脳裏に刻まれた。
今思えば母に絵画の何がわかっていたというのか。子どもの頃の私にとって母の言うことはすべてが真実であり、母の否定するものは偽りだった。
描くことが好きという自覚がない時期に、描くことを否定された私の人生は、美しく描かれたものから逃げ回る日々だった。絵を見るたびに私は、なぜか罪悪感のようなものを感じた。見るたびに心の中で拒絶しては、好きなものを汚しているような気持ちになっていた。
私は母の言う通り勉強をした。それは苦しいことではなかった。高校での成績はトップクラスで、有名な大学でいくつもA判定が出ていた。
「あらミオリすごいじゃない。このまま行けば立派な会社に勤められるわ」
この頃には気が付いていた。勉強をしなさいと言われて勉強をする子は、いくら優秀でも、いくら立派な会社に入っても、立派な仕事はできない。やりたいことがないのだから。
デザインは、イラストは、世の中に溢れていて、私に見てくれと迫ってくる。私はそれらを、必死に目をつぶって避け続けた。たぶんそれは嫉妬からだったんだろう。意味のないことに、人生に必要のないことに、こんなにも多くの人たちが、たくさんの才能を発揮している。
その日、私は母と二人でデパートに行った。父の誕生日のプレゼントを買うためだった。用事を済ませて歩いていると、催事場で若手芸術家の展覧会が開かれているという案内を見つけた。無料ということもあり「ちょっとのぞいてみましょうよ」と母が言い出した。
私はその言葉に、少しの緊張を覚えた。
「素敵な絵ね。とっても繊細に描かれている」
母はこの展覧会で一番大きな絵を眺めていた。母が絵画に興味を持つことに私は驚いたが、とても陳腐な感想を口にしていてホッとした。
この絵はまず大きなキャンバスを大胆に使ったスケール感の大きさに魅せられる。鮮やかな原色を広く配置し、その中で戯化された人物たちが表情と姿勢で意思を交わし合って、見る人にメッセージを届けている。もちろん私個人の感想だ。
…私は絵を避ける日々を送っていながらこんなことがわかるのか。
「でもきっと、この絵を描けても食べていけないんでしょうね」
私は大きく目を見開いて母を見た。その表情をしっかりと見て、その真意を確かめたいと思った。私は脳の裏側が溶けていくのを感じた。こんな人に私は、こんな人に人生を…。
デパートの中のカフェで二人座ってコーヒーを頼んだ。私は母の目を見て切り出す。
「大学に行ったら一人暮らしをする。東京の大学に行って、立派な会社に入るよ」
母は一言「そう」とつぶやいて笑顔を作ったが、それからひどく悲しそうな顔をした。
勉強をしなさいと言って勉強をさせる親は、子どもに立派な大人になれと言う。でも本当は、立派な大人になんてなってほしくはない。ずっと自分に忠実な子であってほしいと願っている。
私は大学を卒業し、立派な出版社に勤め始めた。絵画や美術の専門誌を出版し、展覧会の協賛などもしている。一般誌に美術展レポートやアーティスト紹介のコラムも出稿している。
やるべきことが定まった。私は芸術で食っていく。意味のないことに生きる人たちを食わせていくために。
——母に復讐するために。
——母に恩返しをするために。
——母の呪いを解くために。
11/10/2024, 1:23:17 AM