春一番

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―本当に誘えちゃった。―

 時計を見ると8月16日17時20分を指している。私は10分前に着いた待ち合わせの場所でそわそわと相手を待つ。こんな機会しか着れないと張りきって着た浴衣の裾を小さく揺らす。

「気合を入れすぎちゃったかな、引かれないかな…」

 少し不安がよぎり、目を伏せながらため息をつく。

「有凪、ごめん、待たせた?」

 急に聞こえたそんな声に心臓が一気に跳ね上がる。

「青雲!全然、ちょっと前に私も着いたの」
「ならよかった。じゃあ行こっか」

 私は頷くと、青雲と一緒に歩き出す。青雲とは同じ学校で、ずっと憧れていた。そして今回勇気を出してこのお祭りに誘ったら、いいよと言われ現在に至る。

―そう、今日私は、好きな人と一緒にお祭りに行くのだ。

 青雲と歩幅を合わせて歩く。浴衣で歩きにくいのが分かっているのか、青雲はゆっくりとしたペースで軽く会話をしながら歩いている。私は少しぎこちないながらも一瞬一瞬を焼き付けるように答える。

「さっき言いそびれちゃったんだけど、有凪、浴衣凄く似合ってるね。声を掛けるとき緊張しちゃった」

 そう笑う青雲。…もしかしたら今日、心臓が持たないかもしれない。
 
 お祭りの会場は凄い人で隙間を縫って歩くのがやっとなくらいだった。不意に誰かの肩が当たりよろける。すると青雲が私の肩を抱き、自分の方に引き寄せた。

「大丈夫?有凪」
「だ、大丈夫!ちょっとよろけただけだから」

 どうしよう、青雲の何気ない行動に私の心臓が爆発しそうになる。するりと肩から手が離されて、手を優しく握られた。

「危ないから手を繋いでもいいかな?嫌だったら振りほどいていいから」
「ヨロシクオネガイシマス…」

 キャパオーバーしてついカタコトの言葉になってしまったが、青雲はよかったと言ってまたゆっくりと歩き始めた。本当に今日、私の命日になるかもしれない。

 屋台を見ながら、りんご飴が目にとまる。青雲に買ってくるから待っていてと、少し小走りで買いに行く。一つりんご飴を買い、戻ろうと振り向くと青雲がいて、ふいに私の耳に触れた。

「ああ、やっぱり。君に似合うと思った」

 青雲はそう言いながら私の耳からゆっくり手を離した。右手で自分の耳を確認してみると、そこにはさっきまでなかったイヤリングがついていた。急いでスマホを取り出しカメラモードにして見てみる。金の縁取りをされた小さな赤い蝶のイヤリングがしゃらりと動いた。私は顔が熱くなった。屋台で見かけたと言う青雲の声が少し遠く感じた。辛うじて

「ありがとう、大事にする」

という言葉が出た。きっと声は掠れて震えていたと思う。本当に勘違いしてしまいそうだ。
 だけど、私は知っているんだ。青雲が私に興味すらないことを。私にだけじゃない。何事にも一歩引いたところで見ていて、踏み込もうとするといつの間にかいなくなっている。けれど、人当たりがいいから、滅多なことでは断らない。だから分かっていた。お祭りに誘えば笑顔で、了承してくれることも。先に誰かに誘われているかいないかはカケだったけど。

「そろそろ花火が上がるみたい、どこかで座って見ようか」
「うん、そうしよう」

 私は青雲に手を引かれゆっくりと歩き始める。土手の空いているところを見つけて、ここにしようかと言われる。私は頷き、座ろうとすると止められた。なんだろうと思っていると、青雲は自分のハンカチを引いて、手を差し出した。私がきょとんとしていると、青雲は自分の頬をかきながら、少し照れたように微笑んだ。

「私のハンカチじゃあ、気休め程度かもしれないけど、せっかくの浴衣が汚れたら悲しいからさ」
「で、でも青雲のハンカチが汚れちゃう」
「大丈夫だよ、ハンカチなんて洗えばすぐ綺麗になるからさ。ほら私の手を使っていいからゆっくり座って」

 私は息を呑み、青雲の手に自分の手を重ねながら、ゆっくりと腰を降ろす。それに合わせて青雲もゆっくり地面に膝を落としていく。座り終わったところで私は青雲の手を離した。

「ありがとう」
「どういたしまして」

 そう言って青雲も私の隣に座り直す。まだ心臓のドキドキがとまらない。するとタイミングよく一発目の花火が打ち上がり、それに続き色々な種類の花火が大きな音を上げて打ち上がる。
 私は青雲の横顔を気づかれないように横目で見つめる。時間が止まってしまえばいいのに、という思いと、時間が止ったらきっと私のこの想い苦しくなるだけだという思いでいっぱいになる。好きじゃないのに勘違いさせるくらい優しくされるのは、どんなことよりも残酷で、でもやっぱり私は青雲のことがどうしようもなく好きだった。だってこんなに私のことを見てくれる。花火がまた一つ大きな音を立てて爆ぜる。そして終わりを告げるアナウンスが流れた。
 

 終わりは案外あっけないものなんだと知った。
 

 祭りの帰り、一人で帰れると言う私に、一人じゃ危ないからと青雲は家の側まで送ってくれた。帰るときも取り留めのない話やら、私を案ずる言葉やらをかけてくれて、最後まで優しくて、少し涙が出そうになった。

「じゃあ、有凪、また学校で」
「うん、今日はありがとう」

 手を振りあって、私は家のドアを開ける。そしてドアが閉まった瞬間にその場に蹲る。この祭りで青雲への気持ちを諦めようと思った。だけど、気持ちは膨らんでいく一方で自分が情けなくなる。

「本当に、どうしたらいいの…」

 青雲から貰った赤い蝶のイヤリングが光に反射しながら揺れた。

***

「ただいま」
「おかえりなさい、青雲。遅かったですね」

 海想はゲームから目を離すことなく、答える。青雲は肩をこきりと鳴らして、息を吐いた。

「今日、お祭りに行ったんでしたっけ?もしかしてデートとかですか」
「…ちょっとね」

 青雲がそう言うと、海想はゲームをする手を即座に止め、目を輝かせた。

「へえ。青雲も隅に置けないですね。で、どんな子なんですか」
「ははは、違うよ。…本当にそんなんじゃないんだ。少しベランダに行ってくるよ」

 青雲は冷蔵庫から缶酎ハイを取り出して、階段を登る。二階のベランダに出ると生暖かい風が青雲の頬を撫でた。手すりに肘を乗せ空を見上げると、夏の大三角形が見え、それを缶酎ハイを飲みながらぼおっと眺めていた。今日のことを思い出す。祭りになんて久しぶりに行った。有凪に誘われなければ、今回も行くことはなかっただろう。しかし、…有凪の自分を見つめる瞳を思い出し、小さくため息をつく。

「私を好きになるなんて可哀想な子」

 その声は夏の虫たちの声にかき消されて、溶けていった。

3/25/2023, 5:07:14 PM