へるめす

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わたしは至って真面目な人間だ。
毎朝、目覚ましのベルが鳴るきっちり五分前に目を覚まし、ナイトテーブルの上に置いてある水を飲む。そして、洗顔から始まり、朝食等々、いつもと同じように朝支度を終え、決まって右足から家を出る。社会に出て以来、ほんの数年に過ぎないが、わたしはいつだって規則正しく生活することを旨としている。いつか持つであろう家庭を円滑に運営するための予行演習というわけだ。
これまで繰り返されて来たのと同じ朝を歩き、百歩きっかりで横断歩道まで辿り着く。だか、どうしたことだろうか――昨日と同じ今日であれば、目の前の信号が赤であることなど有り得ないはずだ。不意の出来事に、わたしは少しばかりの動揺を感じ、そんな自分の心を覆い隠すように、深く呼吸し、自分の身体を撫でてみる。五分、十分と経過して、一向変わる気配のない信号機。わたしはいつだって繰り返される今日を生きてきた。そしてこれからもそうやって生きていくに違いないと思っていた。いや、そうやって生きていかなければいけないのだ。規則は絶対だ。すべて規則が人生を主宰すべきなのだ――苛立ち焦るわたしの眼にはただ赤い光だけが見え、それすらも次第にぼやけていく――
――あれからどれだけの歳月が経ったのか、わたしには分からない。依然としてあの忌まわしき赤い光がわたしを睥睨している。交差点に座り込んでいたわたしの処へ、黒い服を着た人びとがやって来る。何か会釈などして挨拶しているようだった。それから、手早くわたしの身体を持ち上げると、箱の中へ詰め込む。人びとは何か悲しげに言葉を交わしている。わたしの眼には焼き付いたあの赤い光だけが揺れている――燃えるような赤――そして、幼い女の子の声が言うのだ――「おじいちゃん、焼かれちゃうの?」
わたしは至って真面目な人間だった。

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お題:ルール

4/25/2023, 1:16:44 AM