永遠なんて要らない。
今や命は体外で産み出す事が出来る時代になりつつある。
そう遠くない未来、体を乗り換えて寿命を際限なく伸ばせる時代がやってくる。
即ち永遠。
しかし、永遠ほど退屈な物はない。
人であれ物であれ、この世の物は何れ壊れ失くなるから美しい。
人が作る作品もタイムリミットがあるからこそ、関心や美しさを感じるのだ。
それは自分自身にも言えることだと、私は思っている。
だからこそ、永遠なんて要らない。
永遠は欲しいと思わないが、私には溢れて止まらない欲がある。
他人が持っている物が欲しい。
世界一、大粒のダイヤモンド。
著名な画家の最高傑作。
最高立地のコテージ。
しかし、それらは高価な物は値段が高いだけで、買うことができてしまう。
お金さえあれば、簡単に満たされてしまうのだ。
なら、他の物が欲しくなるのは当然の摂理だった。
しかし、この世に存在する大抵の物はお金を支払えば手に入る。
最高級品質の宝石や、細かい彫金加工が施されたレリーフ。
人の愛や命でさえも。
お金で解決出来ない物でも、それ以外の対価を支払えば手に入るものの幅も広がる。
人が持っている物ならなんでも、買えないものはないのだ。
だから、更に欲が広がる。
誰も持っていない物が欲しい。
言葉にするのは簡単だ。
けれど、誰も持っていないということは、誰も認知出来ないか、認知出来ても管理が難しいか、あるいは人が想像出来ない物ということになる。
とても判断が難しい。
ところがある日、気紛れに芸術家の個展を見に行った時、私は閃いた。
誰も持っていない物を生み出すのは芸術家なのではないか、と。
独創的な形をしたガラス細工や、ありったけの情報が詰め込まれた絵画は、普通の感性を持つ人間には生み出せない。
見ているだけでは、彼らが何を思ってどうして、どうやってこれを作り出したのか分からないからこそ、考えさせられる。
大抵の人間には生み出せない、理解し難い物だからこそ、私には価値があるように思えた。
生み出された作品を買う。
それは、いつでもその作品を眺められるように。
しかし、眺めている内に何かが違う、と思った。
何が違うのかは分からなかった。
そうして繰り返し芸術家の作品を買っていると。
不思議なことに、自分がそれを持つと執着が失くなる事に気付いた。
そこで私は疑問に思う。
あそこまで熱中していたのに何故、執着が無くなるのか、と。
私が求めている物が、最新の芸術作品だからなのか。
私が欲しかった物は、芸術家が持つ特殊な才能だったからなのか。
それとも、持っていない物を持っているという感覚が失くなるからなのか。
私には答えが出せなかった。
ただ、人が生み出して発表した瞬間から、私の執着心は急激に下がっていたように思えた。
だからといって、芸術家が発表していない物を買っても意味が無い。
発表していないということは、その作品に価値を付けられないと私は考えているからだ。
価値があるからこそ、持っていることに意味が出てくる。
そこまで考えた時、違う答えが見付かった。
私は芸術作品を買うことに飽きたのだ、という答えが。
際限なく湧いて出てくる人の発想には枚挙に遑がない。
端的に言うと、人が思い付く物には価値がないのだという答えが出た、ということになる。
だから、次に欲しい物は。
「この世に存在しない物が欲しいわ!」
テーマ:ないものねだり
3/27/2024, 1:05:59 AM