"夢"だとか"目標"だとか
一見は抽象的な癖に、やけに型にはまっていて。誰かさんの世間の理想を求められる答えを、それが正しいとばかりに一方的に持つべきであれと押し付けられるある種の宗教は心底理解不能だった。
定義不足にもかかわらず、不正解は無遠慮に押し付けられ。答えはないと言いながら、模範解答以外に理由を求め、挙句顔を顰めて否定する。自由を掲げながら、子供の無邪気さを要求しながら、体裁を必要だと暗に伝えてくる。
「パーツが欲しいのならそう言えばいいのに」
それが正しさだと、ルールだと 明確に定められるのならこれほど楽なことはない。責任の所在は規則に、しいては定めた誰かに帰結するのだから。決められた範囲の中はすべて許される。白か黒だけの単純な世界。
言質はとらせない。選択権は委ねさせる。なのに選択肢は実質的に一択で、あなたが言ったのでしょうと 困ったらそう詰寄るだなんて。それはあまりに大人気なく卑怯だと思った。
守られる立場においてルールがあることは当然だと考える。ギブアンドテイクだと言われたって受け入れる。それができる程度には自己も判断能力もあるつもりだ。なのに子供扱いして都合良く操ろうだなんて、それは侮辱に等しい行為。
「夢は自由だと仰ったのはあなた方ではないの」
彼らの言う世界に、本当の"夢"というものが存在しているとはとても思えなかった。
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テーマ:【ここにある】
8/28/2025, 6:27:53 AM