過ぎる凍てついた風に、身を震わせた。
くしゅん、とくしゃみをひとつ。身に染みる寒さに、足早に街路樹を抜けていく。
「寒い」
思わず呟いた。口にすることで、余計に寒さが増した気がして眉が寄る。溜息一つでさえ今は熱を奪っていくようで、白いマフラーに顔を埋める。俯き身を縮めながら、只管に家路を急いだ。
「おかえり。早かったね」
こたつに入り、みかんを剝きつつ姉は笑う。
「ただいま」
それに少しばかり拍子抜けしながら、おざなりに挨拶をしてこたつの中に入り込んだ。
暖かい。足元からじんわりと熱が伝わり、体の力が抜けていく。
「どうしたの?随分疲れているみたい」
「別に……ただ、今日は寒かった」
足だけでは足りず、温もりを求めてこたつの中に潜り込む。
不思議そうに問いかけられ、感じた寒さを訴える。目を瞬いた姉は窓の外に視線を向け、あぁ、と小さく声を上げた。
「木枯らしか」
「木枯らし?」
眉を寄せ、窓の外を見る。枯れた木々には葉が一枚も残ってはおらず、枝には僅かに雪が積もっていた。
年が明けて、一月も経っていないのだから当然だ。春はまだ遠く、況して木枯らしが吹く晩秋はとうに過ぎ去ってしまった。
「玉風じゃないの?」
「木枯らしだよ……きっとどこかに残っていた秋を見つけて、冬が奪い去っていったんだね」
目を細めて呟く姉は、どこか切なげだ。もぞもぞと体を起こし、姉と同じ目線で窓の外を見る。
外では枯れた木々の枝を、風が揺らしている。積もる雪を散らし、まるで何かを探しているようにも見えた。
秋を奪い去る冬。荒れる風と、枯れて何も残っていないはずの木々。
まだ残っているのだろうか。一つ残さず見つけ出そうとする冬を思い浮かべ、その執着にふるりと肩を震わせた。
「何だか、恐ろしい」
「確かにね。春を迎えるためには必要なことではあるのだけれど」
こたつの上のみかんに手を伸ばし、姉は小さく息を吐く。
「残っている秋は、去年のものだから。新しい年の、新しい春には必要ないからね」
そういうものなのか。姉のようにみかんを手に取り、皮を剥きながら考えた。
去年。そして今年。何もかもが変わらないように見えるが、やはり何かは違っているのだろう。
皮の剥かれたみかん。一房食べれば瑞々しい甘さが口に広がっていく。口元を緩めながら、このみかんは去年育ったみかんだな、と取り留めのないことを思った。
かたん、と窓が鳴る。視線を向ければ、外では変わらず風が木々を揺らすほど強く吹いていた。
「荒れてるね」
「そうね。きっとまだ全部見つかってないのでしょうね」
こたつで姉と二人、黙々とみかんを食べる。
ふと、喉の渇きを覚えた。名残惜しげにこたつを出て、台所へと向かう。
ひやりとした床や空気が、容赦なく熱を奪っていく。ふるりと肩を震わせ、手早くやかんに水を入れ火にかけた。
湯が沸く間に湯飲みや急須、茶筒を盆に乗せる。甲高いやかんの音を合図に、火を止めた。
不意に、冷たい風が吹き抜けた。誰かの視線を感じて振り返れば、いつの間に戻ってきていたのか、兄が台所の入口に佇んでいた。
「あ、おかえり」
「ただいま」
僅かに目を細めて微笑み、兄が台所に入ってくる。外から帰って来たばかりの兄の周囲は、まだ外の冷えた空気が残っているような気がした。
「お仕事はもう終わり?」
「あぁ。今日は終いにした」
「そう」
湯飲みを一つ新たに盆に乗せ、沸かした湯を保温ポットに入れる。茶請けも必要かと戸棚に視線を向ければ、兄が察して茶請けを取り出し盆に乗せて台所を出て行った。
ポットを持って後に続く。兄のいた場所はどこか冷えていて、吐き出した息がうっすらと白くなるのに、また小さく体を震わせた。
「今日は早かったのね」
こたつに置かれた茶請けに早速手を伸ばしながら、姉は首を傾げて問いかけた。
兄は肩を竦めるだけで何も答えない。黙々と茶を淹れて、姉の前へ湯飲みを置いた。
同じように目の前に湯飲みを置かれ、そっと手を伸ばす。湯飲みから伝わる熱で冷えていた手を温めながら、湯飲みを覗き込んだ。
「あ、茶柱」
「相変わらず、お茶を淹れるのが上手よね」
くすくすと姉は笑う。それに同意しながら、湯気に息を吹きかけた。
湯呑みに口をつける。まだ冷めていない茶の熱さに舌が痛むが、それが気にならないほどの美味しさに笑みが浮かぶ。誰かといるぬくもりと幸せに、段々と意識が微睡んでいく。
「寝ちゃいそうね。じゃあ、ちょっと早いけど、夕ご飯の支度をしてくるわ」
優しく頭を撫でられる感覚。離れていく姉の気配に、手伝いをしなければと閉じかけている目を擦る。
「今日は鍋だから、それまで寝てなさい」
姉の声が遠くなり、肩を抱かれ、そのまま横になる。薄く目を開ければ、膝枕をする兄と目が合った。
「寝ていろ。そう言われただろう」
大きな手が、目を塞ぐ。暗闇と冷たさに、ほぅ、と吐息が溢れ落ちた。
いつの間にか、風が止んでいる。何故かそれが気になって、目を塞ぐ兄の手に触れた。
「木枯らしは止んだの?残っていた秋は見つかった?」
「何だ、それは」
「だって……秋が残ると、春が……」
頭を撫でられる。冷たい手に、浮かんだ疑問が消えていく。
「担がれたのだろう。秋が残るなどあり得ない……冬が秋を置いていくことなどないのだから」
声が遠い。疑問も、記憶も、何もかも遠くなって、どこまでも沈んでいく。
そういえば。
眠りに抗うように、疑問が込み上げる。
兄と姉。家族であるはずの二人の名は、何だっただろうか。
本当に彼らは自分の家族だっただろうか。
両親の顔を、自分の名さえ、思い出せない。
「眠れ。心配せずともここにいよう。一人でないのだから、泣くことはないだろう」
意識が沈む。
思い出せないことすら忘れて、暖かな眠りへと落ちていく。
かたん、と風が窓を揺らす。
冬に移り変わる前の、秋の風が呼んでいる。
けれどもう、冬の腕の中の自分には。
その呼び声は聞こえなかった。
20260117 『木枯らし』
1/18/2026, 7:13:45 AM