鳥の囀り。風に揺れる木々の騒めき。
煌めく陽と、爽やかな青の空が眩しい、そんな穏やかな午後のこと。
木々の合間をすり抜けて、少女が一人駆けていく。
その手には小さな風呂敷の包み。煌めく目をして笑い、ふわりとスカートを翻しながら、奥へと向かっていく。
やがて木々を抜けて、開けた場所に出た。
木々を切り倒して作られたその場所は、おそらくは墓地なのだろう。供養塔婆がいくつも立ち並び、その静けさがかえって空しさを際立たせていた。
墓地の脇、粗末で小さな家から少年が現れる。少女を認め、僅かに眉が下げて呟いた。
「また来たの」
「だって、皆意地悪なんだもの」
困惑する少年を気にも留めず、少女は笑顔で駆け寄る。
手にした風呂敷を半ば押しつけるように渡して、遊ぼう、と声をかけた。
「川に行こうよ。ご飯食べるなら、こんな臭い場所よりずっといいよ」
「でも……」
「大丈夫だよ。皆ここに来たがらないもん。少し離れても誰も気づかないだろうから、怒られたりしないよ」
手を軽く引く少女に、少年は一度迷うように墓地を見渡す。
けれども控えめに腹が鳴り、軽く頬を染めながら少年は無言で頷いた。
小川に足を浸して座り、少年は風呂敷をゆっくりと広げた。
中には笹に包まれた、小さな塩むすびと干し魚。野菜や漬物が少々と、飴玉が一つ。
「怒られない?」
川遊びをする少女に、少年は問う。不安そうな少年とは対照的に、満面の笑みを浮かべて少女は首を振った。
「どうせ誰も気づかないから大丈夫……それより、食べたら一緒に遊ぼうよ!」
手を振る少女に少年はそれ以上何も言えず、一つ溜息を吐くと塩むすびを手に取り齧り付いた。
楽しげな笑い声が響く。
水の跳ねる音。きゃあ、とはしゃぐ少女の声に、控えめながら笑う少年の声が混じる。
陽の光を反射して、水面が煌めく。その合間に小魚の姿が見えて、夢中でそれを追いかけた。
川遊びが終わっても、二人の遊びは続く。
鬼事や虫取り。疲れれば木陰で休み、また遊ぶ。
そうして緩やかに日が暮れ、空が赤く辺りに影が差した頃。
「またね」
見送る少年に手を振って、少女は家へと帰っていく。
小さくなっていくその背を少年は何も言わずに見つめ、しばらくしてからゆっくりと手を上げた。
「――またね」
恥ずかしそうに小さな声で、それでも嬉しさを隠し切れない。そんな柔らかな声だった。
聞こえるはずのない微かな声に、けれど少女は立ち止まる。
振り返る少女は笑顔を浮かべて、大きく手を振り返した。
「またねっ!」
笑顔で別れる二人。
けれど少女の姿が見えなくなって、少年の笑みが陰る。
何かを言いかけて口を閉ざし、俯いて家の中へと入っていく。
その背を追いかけようとして、しかし手を引かれて体が傾いだ。
誰かに手を繋がれている。
それが誰なのか、確かめるために振り返り――。
視界が暗転する。
「燈里《あかり》」
冬玄《かずとら》に呼ばれ、燈里は目を瞬き視線を向ける。
「冬玄……?」
安堵の表情を浮かべる冬玄に、燈里は申し訳なさそうに眉を下げた。
「もう大丈夫……ごめんね」
小さく謝罪すれば、冬玄は軽く笑って首を振る。気にするなと頭を撫でられて、燈里もまた力なく笑みを浮かべた。
不意に、かたりと音がした。
視線を向ければ、楓《かえで》が壊れた竹柵の一部に触れて、何かを確認している。不思議そうな燈里の視線に気づいたのか、楓は振り返り肩を竦めてみせる。
「元々、この一部が扉の役目をして、向こうに行ける作りになってたみたいだね。ただ厳重に閉じられていたから、ここに来た誰かは無理矢理こじ開けて奥に進んだみたいだけど」
軽蔑した顔をして、楓は散乱するゴミに視線を向ける。その視線を追って燈里もゴミへと視線を向け、表情を曇らせた。
「酷い……」
「まぁ、その代償は受けているんだろうけどね」
薄く嗤い、楓は言う。ゴミから柵の奥へと視線を移しながら、燈里に問いかけた。
「たぶん、目的地はこの奥だね……どうする?」
問われて燈里は柵の奥へと視線を向け、そして冬玄を見た。
眉を下げながらも強い目をする燈里に、冬玄は仕方がないと笑う。
それに笑みを返して、燈里は再び柵の先に視線を移し、告げる。
「行かないと……あの子が待ってる」
燈里自身の意思を伴った言葉。
冬玄と楓は頷き、静かに歩き出した。
細い道には、所々にゴミとは違う何かが落ちていた。
鞄か何かについていただろう、ストラップ。鈍く光る小さな鍵。
踏まれ汚れた財布を見て、燈里は怪訝に眉を潜めた。
「これって……」
不意に風が吹き抜け、木々を揺する。
ざわざわと、葉が擦れる音。次第に歪み、それは焦りを含んだ複数の若者の声に成り代わる。
――おい、早くっ。
――なんだよ。何なんだよ、あれ。
――いやだ。死にたくない。
何かから逃げ惑う声が、風と共に三人の横をすり抜けていく。
「馬鹿な奴ら。まぁでも、怖い思いはできたんだからよかったのかもね」
「そうだな。恐怖を求めて、こんな所まで来たんだろうから、本望だろうさ」
楓の言葉に、冬玄が同意する。
燈里は何も言わずに、ただこの先で待っているだろう少年を思い、目を伏せた。
冬玄と楓はそれ以上は何も言わず、誰もが口を閉ざして細道を歩いていく。
そして長い細道の終わり。鬱蒼と茂る木々の先に、墓地はあった。
雑訴すら生えない、枯れた大地。朽ちた供養塔婆の残骸が、辺りに散らばっている。
墓地の入口に、菓子や飲み物の缶が落ちていた。
袋からはみ出したスナック菓子。落ちて中身が零れた缶。
溢れたアイスクリームのカップが、それがゴミとして捨てられたのではないことを示していた。
「思わず落としたのかな?……それにしても、まるでたった今落としたばかりのようだね」
「ここに来る時にすれ違った奴らが落としたんだろうさ」
軽口を言い合いながら、二人の視線は奥へと注がれている。燈里も奥へと視線を向け、座り込む少年の姿に唇を噛みしめた。
足下の菓子の甘い匂いに混じり、土の匂いがする。
少年の前の穴は、掘られたばかりなのだろう。周囲の乾いた固い土とは異なり、黒く湿り気を帯びている。
少年の腕には、少女が抱かれていた。俯き髪を撫で続ける少年とは異なり、少女は僅かにも動かない。
「また、ね……」
風に乗って、微かな声が聞こえた。
泣くのを耐えて感情を押し殺したような。
そんな悲しい声だった。
20250811 『こぼれたアイスクリーム』
8/13/2025, 8:44:17 AM