元気ハツラツ、底抜けに明るい、誰にでも優しい。このうちのいくつかに該当する人のことを、太陽のような存在、と喩えることがある。現在では、自分の好きな人や推しが目映い存在である、という意味で用いることのほうが多いのではないだろうか。
私には、好きだとか推しだとか言える何かがないから、太陽のような、という比喩を使うことができない。これはとても悲しいことだ。生き甲斐がない、と公言しているのと同じだから。
淡々と過ごす日々は退屈で、いつも日が昇るたびに「また朝か……」と思ってしまう。眠りにつくときは幸せなのに、目覚めると憂鬱な気分になってしまうのは、ずっと夢の中にいることを無意識下で願っているからだ。断定しているけれど、そこにはそうあってほしいという私の想いが込められている。
十六の歳で永い眠りを望むのは、早すぎるにもほどがあるのだろう。しかし私には夢や目標もなければ、守りたいと思うものさえない。このまま生き続けるくらいならさっさと火葬されたほうがマシだと考えるのは、至極真っ当なことであるような気がする。
私の前に、太陽のような存在と呼べる人は現れるのだろうか。もしその人と出逢えたのなら、私のこのつまらない日常も、少しは良い方に向かうのだろうか。
夢から醒めてうだうだと巡らせていた思考を断ち切り、上体を起こす。
カーテンを開けると、眩しい日の光が、窓から差し込んできた。
私の部屋に、春の陽気が満ちていく。
……朝は嫌いだ。
だけれど、このときはなぜか、優しい温もりが、自分の中に宿る感覚がした。
2/23/2024, 9:55:09 AM