七雪*

Open App

 いつから"視界"は色を失ったのだろうか。
自分達が生まれる前には無かった小さな液晶に、人々は目を奪われ続けている。その液晶の窓の奥には、顔も知らない人間が書き連ねた世迷言が溢れ返っている。嗚呼、今にも氾濫してしまいそうだ。この小さな窓の奥の世界には、想いをせき止める堤防など無いのだから。

 かちりと、手に馴染んだ機械の電源を落とす。もう片方の手で、両耳に着けていたワイヤレスイヤホンを外した。リンリンリン……、と懐かしさを呼び起こす虫のささやかな歌声が耳に流れ込んでくる。季節は、夏だ。スマホを鞄に入れて歩き出す。突如、手元の液晶画面に気を取られた一人の人間が、自分の肩にぶつかりそうな位置を足早に通り過ぎて行った。あの人は、液晶に表示される温度の無い文字を見て初めて、季節が変わった事に気付くのだろうか。人類は日々進歩しているが、大切なものを見失い始めている。斯く言う自分も、その一人なのだ。

 通りの家電屋の店頭に飾られたテレビには、"今"を取り上げたニュースが日夜流れている。テレビの中では、ジェンダーや紛争について専門家たちが顔を赤くして語っていた。自分と同じく、流れるニュースを見ている数少ない人間たちは、至って平気な顔でそれを眺めていた。明日になれば忘れてしまう。彼等にしてみれば、その程度の話らしい。ちらと彼等から焦点をずらすと、流行りものに弱い人の群れが、頬を上気させてペラペラとご機嫌に自論を語り合っている。その薄っぺらい仮面の下には、どんな面が在るのだろうか。伝えたい事の本質など、彼等には何一つ見えていないようであった。

 言葉の奥に秘められた真意は、沢山の液晶によって幾度となく屈折し、誰かの手元に届く。

 そこには、確かに善も悪も存在しないのだ。

4/27/2023, 11:08:39 AM