広い屋敷の敷地内の一角、離れと呼べる場所に小さな部屋があった。
獣人だからそこに追いやられたわけではない。
家主はもっと立派な自室を用意しようとすらしたが、狼は自ら好んで気後れしないその部屋を選んだ。
そして彼はその部屋で、少年から青年へと成長していった。
小さな部屋は今、夜の帳に包まれている。
柔らかな月明かりと、微かな甘さが部屋に優しく香る。
ベッドの上には、長い黒髪の美しい少女が横になっていた。
静かな寝息と穏やかな寝顔。
時折こぼれる安心したような微笑みは、隣でその寝顔を眺める彼の胸を甘く疼かせる。
年頃の男女が同じベッドにふたりきりである。
普通なら、何も無いはずがなく──
「……いや、なんもねぇンだけどな」
枕に頬杖をつきながら狼は独りごち、自分たちの“普通ではなさ”に苦笑した。
少女がこうして偶に狼の部屋で眠るのは、子どもの頃からだ。
『あなたと一緒に眠ると、怖い夢を見ないの』
そう言われて拒めるはずも、今更男の部屋に来るってことはどうこうだなんて世間一般の理屈を通すつもりにもなれなかった。
そして何より、彼女にとって心休まる存在であれることが、狼は嬉しくて仕方ないのだから。
「……夜が明けちまうなぁ」
言葉通り、空が白みつつある。
飽きもせず少女の寝顔を眺めながら、揺れる尻尾とともに狼はひとつため息をついた。
7/4/2024, 7:25:47 PM