あの人は、泳げないのに海へ行くのが好きだった。
海に行って、ずうっと、寄せて、返す音を聴くのだそうだ。
彼は海へ行くたびに「思い出」とひとつ、貝殻を拾ってきた。
日が暮れるたびに増える貝殻。巻き貝に、さくら貝。色も形もバラバラだ。テレビ棚の隅っこに置かれた貝殻は、少しずつ、少しずつ増えていった。
いつもは部屋の汚れに無頓着な彼も、貝殻だけは捨てないで、と言っていた。いつの間にかテレビ棚は、ほんとうの海のようになっていった。
ある時、突然貝殻は増えなくなった。
2人だった部屋は半分になり、影を、持った。貝殻はそのまま、少しずつ埃が積もっていった。もう貝殻は増えない。
今まであれだけ一緒にいたのに。
今までずっと一緒だったのに。
私は行き場を失い、海へ沈む。深く、暗く。
深く、暗く。
9/5/2024, 11:38:21 AM