時は大正、帝都は本郷。
師走の寒空に並ぶ暖かなガス灯の明かりを見上げることもせず、群衆は皆つむじに目がついているみたいに顔を伏せ、足早に歩いていた。
しかし、一人、ただ一人だけ、調子の悪い懐中時計のような足取りで歩く男がいた。茫洋とした面持ちの彼は青年とも中年とも言いがたく、そしてその背丈を除けば男とも女とも言いがたい出で立ちをしていた。
呼吸の度、二酸化炭素混じりの淡い煙が口の端から零れる。それでも足を早めることはなかった。
男はかつて行きつけだったミルクホールを一瞥し、やがて赤門の前で足を止めた。昼餉時の鋭い陽光は鼠色の分厚い雲にその身を隠している。
ふと、今にも縺れて転げてしまいそうな様子の学生たちが男の瞳孔に溶ける。真新しいインバネスをひけらかすように大股で歩く学生らはすっかり隠れん坊をしている昼光より余程、眩しく、口惜しいくらいに儚い。
ここで待ち合わせようと、電報を送ったのは誰だったか。医者になったあいつか、それとも貴族院を継いだあいつか、男は口元に笑みを浮かべた。今にも口笛でも吹き鳴らしそうな様子だった。
『変わらないものはない』
12/26/2022, 12:25:11 PM