あまり面白くもない昔話をしようと思います。
私には昔、とても大好きなバンドがいました。蜉蝣という、ヴィジュアル系の界隈で活躍していたバンドです。
私は、明るく楽しい学生生活とはほぼ無縁な人生を送ってきました。中学生の頃には、ただ友達が作れず休み時間に一人で本を読んでいるだけで、クラスの女子の大半から陰口を聞こえるように言われたり筆箱を盗まれたりもしました。心配の声を掛けてくれたくせに盗みに加担していた子が居たりして、人間不信になったりもしました。それでも私は何処までも気が弱くて、その子たちを恨むことも怒りをぶつけることも出来ませんでした。出来なかったというより、もう心が何も感じなくなっていてそんな感情すら湧いても来ないような状態でした。
蜉蝣の音楽は、ボーカルの大佑さんは、私が言葉にしたくても出来ない恨み言だったり、生きることへの絶望だったり、そういったものを私の代わりに歌に込めて叫んで訴えてくれました。心の声を代弁してくれて、蜉蝣が解散しthe studsというバンドで活動するようになっても、私が悩んでいたり、人生に行き詰まった感覚に陥っている時、不思議といつも歌詞で答えを示してくれていました。蜉蝣時代に「カリスマVo.」と名乗っていた彼には、本当にボーカルとして、表現者としてのカリスマ力が溢れていて、この人の言葉があれば私はきっといつだって大丈夫だと、この人の言葉が私を救ってくれるのだと、そう信じて生きていました。生きていくために必要な心の支え。それが彼と、彼の書く歌詞、そして彼が全身で思いを訴えてくれる歌でした。
しかし彼は、2010年7月15日、私達ファンを置いて永眠してしまいました。突然すぎる別れ、早すぎる死でした。訃報を聞いたその夜、涙が止まらず一睡も出来ませんでした。一晩中ずっとiPodで、彼の歌声を聴き続けていました。蜉蝣が解散を発表した時にも深い傷を負い、たくさん涙を流しましたが、その時とは比べ物にならない喪失感と悲しみでした。たくさんのファンに必要とされている彼がどうして死ななければいけないのか。出来ることなら私が代わってあげたい。私の命一つでこの先も彼が世界に歌を届けられるのなら喜んでこの命を差し出すのに。······当時はそんなことばかり考えていました。
彼の歌詞は、死への渇望が多く見られました。そこに共感し、好きになった部分もあります。しかしそれと同時に彼は、生への渇望もたくさん歌詞にして残していました。恐らくは、彼自身が幼い頃より川崎病という心臓の病を抱えていたことが大きかったのではないかと思います。「蜉蝣」というバンド名に込められた思いは、短い期間しか生きることが出来ない蜉蝣という虫のように儚くも強く精一杯生きていく、といったものでした。蜉蝣時代、彼はライブでしきりに叫んでいました。「蜉蝣出来ますか?」「蜉蝣出来ますか!?」と。蜉蝣のように今を精一杯楽しめますか? と。私達ファンに向かってたくさん、たくさん、訴えてくれていました。
彼が亡くなった直後は、彼の居ない世界で生きていくことが嫌でした。そんな自信ありませんでした。彼の言葉が新しく紡がれることはもう二度とないのに、何を支えに生きていけばいいのかわかりませんでした。彼の居ない世界なんかに価値を見い出せませんでした。親とはぐれた迷子のような気分でした。それでも私はやっぱり気弱で、臆病で、軟弱で、そんな状態でもただ生きていくしかありませんでした。生きる以外の選択肢を選べませんでした。
自分にそんな勇気がなかったのは勿論なのですが、残された彼の歌は以前と変わらず私の背中を押してくれました。優しく寄り添ってくれました。欲しい言葉をくれました。後ろは見るな、と叱咤激励してくれました。自分で作りあげた牢屋の錠は自分だけしか持っていないだろう? と諭してくれました。手を伸ばせばすぐそこに出口はあるから、とも教えてくれました。
そして、改めて考えて、思ったのです。決意したのです。彼は32歳になる15日前、31歳という若さでこの世を去りました。まだまだやりたいことも、歌にしたい思いも、たくさんあったはずです。それなのにこの世を去らねばならない事実に、きっと大層胸を痛め、そして何より無念だっただろうと思うのです。残された私達に出来ることは、31歳で時が止まってしまった彼の代わりに精一杯この命を生き抜くことだと。その結論に至るまでそれなりの期間を要しましたが、今現在の私はそういった心持ちで、決して平坦ではない山あり谷ありの人生を必死に足掻きながらどうにかこうにか、生きています。彼の居ない世界で、生き続けています。
······それでも。たまにふと、考えてしまうのです。ボロボロに心が磨り減った時。生きる意味がわからなくなった時。自分の命に価値などないと気付いてしまった時。そんな時に、どうしても思ってしまうのです。「どうして今彼はこの世に居ないのか」と。縋ってしまうのです。「あなたの言葉が欲しい」と。「私のことを助けてほしい」と。そんな無意味なことを考え、彼の存在を思い出し、もうとっくに居ないその影に縋ろうとする。どう足掻いても、もうすぐ15年経つ今になっても、私が救いを求める先は彼一人なのです。私の人生でたった一人、唯一の、「カリスマ」なのです。
本当は自分でもわかっているんです。こうして彼を思い出すこと、彼について語ること。それは、もうとっくに塞がったはずの瘡蓋を自ら引っ掻いて剥がして血を流す、自傷行為に相違ないと。この約15年間、何度そうやって自分で自分を傷付けてきたかわかりません。
だけど、それでも。時々はこうやって、後ろを振り返って、あなたのことを思い出し、傷付いて涙を流したりすることがあっても、許してほしい。そんな身勝手な願いを、もう居ない彼に押し付けて、これからも私は生きていくのでしょう。この心の傷の形を死ぬまで忘れることなく、時に己で抉り、時に大事に抱き締めながら、この先いつまで続くかわからない道を、あなたと共に。
1/20/2025, 1:44:51 PM