気まぐれなシャチ

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Day.16_『moonlight』

「飲めよ」
「ありがとう」

今宵は中秋の名月。空にはいつもより明るく、丸い形の月が雲の服を着て存在していた。
俺は、とっくりに入った酒を『響也』の盃に注ぐ。

「……うん、美味い」
「それは良かった」

ニカッと笑いながら、飲み干す。俺は、自分で注いだ酒を飲み干す。キリッと辛い日本酒が喉元を過ぎていく。

「ほら」
「おっ、サンキュー」

飲み干してすぐ、響也が酒を注いでくれた。庭からは、鈴虫の鳴く声が聞こえてきた。

「……秋だなぁ」
「そうだなぁ……」

響也が呟いたので、それに応えるように俺も呟く。すると、響也が続けて呟いた。

「こうして『雫』と飲めるのも、今日で最後かぁ」
「……そう、だな」

俺は、少しだけ言葉が詰まってしまった。

響也と、こうして縁側で酒が飲めるのも、今日が最後。明日になれば、響也はアメリカに行ってしまう。彼自身の夢を叶えに行くのだ。「歌手になる」という、夢を。

「少し、寂しいな……」
「珍しいな、雫がそんなこと言うなんて」

本当に珍しい、というような表情で言う響也。俺は少しムスッとしながら反論する。

「俺だって寂しいときは寂しいんだよ。悪いか?」
「だって、オンラインとかでも話せるんだぞ?通話しながらとかでも……」

キョトンとした様子で言う響也。そんなことを言う彼に、俺はボソッと呟く。

「それだと……一緒に飲んだ気がしないだろ……」
「……!」

酔いが回ってきたのか、なんなのか……。俺は、今まで抑えてきた感情が溢れるように言葉が紡がれていく。

「俺は……こうして対面してお前と飲む酒が良いんだよ……電話越しでなんて……独りで飲んでるのと変わらねぇよ……」
「雫……」

寂しい。そんな一言では言い表せないような、複雑な感情が俺の心を支配していた。俺は、そんな気持ちを押し殺すように盃に残った酒を一気に飲み干す。

響也がとっくりを差し出してきたので、俺は盃を出す。盃に注ぎながら響也が言った。

「……曲ができたら」
「あ?」
「曲ができたら、一番に君に聴かせてあげるよ」
「響也……」

俺の盃に注ぎ終わった響也がとっくりを俺に渡してくる。俺がそれを受け取ると、今度は響也が自分の空になった盃を出してきた。そして……

「僕の、一番の古参になってくれるんでしょ?」
「…!」

ニカッと笑う響也。そこには、必ず成功させてみせるという決意が宿っていた。

「……変な曲出したら、承知しねぇからな?」
「あはは、肝に銘じておくよ」

俺は、響也に酒を注ぐ。響也は、それをひとくち飲むと、月へ視線を移した。月明かりに照らされたアイツの表情は、柔らかく、しかし、しっかりとした様子で光って見えた。

「……頑張れよ」
「ん?何か言った?」
「いいや、何も」

俺は自分の持っている盃に視線を落とす。そこには、空に浮かんだ月が反射し映っていた。

その後、俺たちは言葉を交わすことはなく、ただ、虫の音を聴きながら静かに飲み交わすだけだった。

10/5/2025, 11:23:38 AM