結城斗永

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「うわぁ、巨人さんの足音がする!」
 三歳になる息子のユウトが唐突にそんなことを言うので、私は思わず吹き出してしまった。
 そういえば今日は近所の花火大会の日だっけ。あいにくこの部屋から花火は見えないけど、確かに耳を澄ますと音だけが小さく聞こえてくる。

「どぉん、どぉんって。ママも聞こえる?」
「聞こえるよ」私は笑いながら答える。「巨人さん、何してるのかな?」
 すぐに答え合わせをしてしまうのがもったいなくて、私はそのまま問いかけてみた。
「お散歩してるんだよ!」
 ユウトが巨人の真似をしてのっしのっしと歩いて見せる。
「こんな夜遅くにお散歩してるの?」
「うん、巨人さんは星が好きだからね、だから夜のお散歩をするの」
 花火の音が鳴るたびに、ユウトのテンションが高くなっていく。

「巨人さんはどこに向かってるのかしら?」
 私もだんだんと楽しくなってきて質問を重ねる。
「お友達のところだよ!」
「それは楽しそうね。どんなお友達?」
「あのね、巨人さんはね、星が好きなの。でね、お友達はプリンが好きなの」
 つい先ほど食べたプリンのことがまだ頭に残ってるんだろうな、と思わず笑ってしまった。
 
 その時、花火の音がドドドンと連続で打ちあがる。
「お友達も来た!」
 ユウトが大はしゃぎで窓の方に駆けていく。窓に手をついて背伸びをするように外をのぞき込む。きっと彼にはベランダの塀しか見えていないんだろうけど、その背中からワクワクは確かに伝わってくる。
「あっちにいるのかな」
 首を左右に揺らしているユウトがあまりに可愛くて、私は彼を後ろから抱きかかえてベランダへと踏み出した。外に出た瞬間、澄んだ夜空に涼しい風が肌を撫でる。心なしか火薬のにおいが混じった空気に夏の終わりを感じる。

「巨人さん、見えるかなぁ?」
 私は余った右手で望遠鏡を作って顔の前にかざして見せる。ユウトも真似をして両手で望遠鏡を作る。
「うーん、見えない」
 ベランダからの景色は開けているわけではなかったが、花火が上がった瞬間、建物の隙間から光がわずかに漏れるのは見えた。

「うわっ、巨人さんが星にあたまゴッツンした!」
 ユウトが慌てたように両手で額を抑える。
「あら、巨人さん、大丈夫かしら?」
 私が笑いながら言うと、彼は私の顔をみながら「星は優しいから大丈夫」と自信満々で言う。
 まったく、どこでそんなロマンチックな言葉を覚えてきたんだか。

 クライマックスの百連発花火。先ほどとは比べ物にならないテンポでドドドドと打ちあがる花火にユウトのテンションは最高潮。
「巨人さんも踊ってるね」
 ユウトはそう言って腕をぶんぶん振り上げながら、キャッキャと楽しげに笑う。彼には光と音の連続が踊っているように見えるらしい。たしかにそう言われてみれば、そんな風にも見えてくる。子供の想像力はどこまでも果てしない。

 ドォーーンッ!
 花火大会の終焉を告げる尺玉が上がる。建物の向こう側に花火の丸い形がはみ出すほどの巨大花火。
 ユウトがビクリと身体を震わせて驚いた表情を見せる。花火の光が彼の丸く見開かれた瞳の中でキラキラと輝く。
 しばらく言葉を失っていたユウトは、花火の余韻に静まり返るころ、ようやく口を開いた。
「巨人さん、飛んでっちゃった……」
 まだ驚きが残っているような、唖然としたユウトの声がなんだか可笑しくて思わず笑みがこぼれる。
「巨人さん、とても楽しかったんだね」と返すと、息子が満面の笑みでニカッと笑って頷く。
 
 あの日から、息子はたまに夜空を見上げて「巨人さん、元気かな?」と呟く。
 その度に私は一番明るい星を指さして「ほら、あそこで笑ってるよ」と答えるようにしている。

#遠くの足音

10/2/2025, 12:12:09 PM