愛を注いで
「あんたは、私が厳しく育てたから、自分の子どもに甘いのね」
「甘いんじゃない。『優しく』してるの」
この母に優しくされたことは無い。抱きしめられたり褒められたことが皆無なのだ。それが子ども心にどれだけ寂しいことか。それどころか、傷つく言葉をたくさん投げつけられた。DVだった父の方がまだ、機嫌が良ければひざに乗せて一緒にテレビを観たり、みかんを剥いてくれたりしたものだ。機嫌が良ければ、だが。
母は、赤ん坊の時に父親が死んでしまい、祖母に女手ひとつで育てられた。あの時代に女性が仕事を持つのはたいへんだったろうに、夫がやっていた仕出し屋を継いで、祖母は必死で働いた。母は、お手伝いさんと近所の老夫婦に育てられたようなものだと、時々言っていた。充分に可愛がってもらったが、それでも寂しかったようだ。
母親の愛情を知らずに育った母に、私は育てられた。その私も、母の愛を感じられずに育った。母だって、母として愛を注いだつもりなのだろうが、伝わらなかった。愛情表現が出来なかったのだろう。それで私も愛情表現が下手だ。
だから私は、子どもたちにたっぷり愛を注いで育てている。抱っこやハグもするし褒めるし、叱るところは叱るが、なにしろ可愛かった。子どもたちが可愛くて可愛くて、愛を注いできたと思う。つまりはこれだと思う。意識しなくても、自然にあふれ出るのが愛情だ。
12/14/2024, 3:27:01 AM