白糸馨月

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お題『耳を澄ますと』

 僕には秘密の日課がある。自分の部屋の壁に耳を押し当てて、となりに住んでいる女性の生活音を聞くことだ。
 彼女との出会いは、つい一ヶ月前。何ヶ月かあいていたとなりの部屋から物音がするようになって、僕は興味本位で外にでて確かめると、そこには女性がいた。その人は僕なんかににこやかに挨拶してきた。その時、僕の心に恋の花が咲いた。
 しかし、僕には恋愛経験がなく、女性にアプローチする勇気もない。だからこうして、女性の生活音を聞くしか無いのだ。そうすることで、僕は彼女との生活を妄想していた。

 だが、ある日、となりから怒号とともに強い音が聞こえてきた。いつものように壁に耳をあてると、男の怒号とあの人の『やめて』という悲鳴が聞こえてくるではないか。
 僕は、じっと壁の一点を見つめた後、意を決して壁を強く叩いた。何度も何度も強く叩いた。
 すると、一旦音がやむと、しばらくして今度は僕の部屋の扉になにかを強く叩きつける音が聞こえてきた。
 僕はとっさにキッチンから包丁を持ち出して扉を開ける。
 目の前に強面の金髪のヤンキーみたいな人が立っている。後ろで隣人さんがあざだらけの顔をしながら、彼に叫んでいた。だがヤンキーは意も介さず、

「テメェ、うるせぇぞ!」

 と僕に凄んできた。僕はとっさに包丁を向ける。

「う、ううう、うるさいのはお前の方だろおぉぉぉぉ!? か、かか、彼女をいじめたらぼ、ぼぼ、僕がお、おまえをこ、こここ、殺してやる!!!!」
「おいおい、どもりながら言っても怖くねぇんだよぉ!」

 ヤンキーが前に出たから僕は、わめきながらやけになって包丁を振り回し始めた。ヤンキーはさすがにビビってちょうど来たエレベーターに乗って下へ降りていく。守ろうとした隣人さんも下着姿にあざだらけの顔、体でエレベーターのとなりの外へ出られる扉を開けると彼を階段をくだって追いかけていった。
 僕は、その場にへたりこむ。思わず乾いた笑みが出てきた。

5/5/2024, 6:51:10 AM