小さい頃、私は外出先で風船を貰った。どこで貰ったが覚えていないが、幼かった私はその真っ赤な風船をとても気に入っていた。
母が運転する車の中でもしっかりと握りしめた。手の肉に埋もれるぐらいぎゅっと握っていたのに、車から降りた途端、うっかりと手を離してしまった。何かに気を取られていた私はやや遅れて、空に向かって飛んでいく風船を見つけた。
風船は曇り空に吸い込まれるように浮いていく。やがては、灰色の雲の中に溶け込んでしまい、赤色の風船を見失ってしまった。
カラスもスズメも飛行機も飛んでいない空に消えた私の風船。あらゆるものを掻き消す果てしない空の広さに、私は恐怖を覚えた。風船と共に私の存在までも、大空に消えてしまいそうだった。
何もない寂しい手で母に甘えても、「消えちゃたね」と事実を突きつけられてしまった。親でもできないことがあると、現実の非情さをあの頃から覚えてしまった。
本当に仕方ないのかと、もう一度頭の中で赤い風船を膨らませる。すると、突然現れた男がその風船の紐を掴んできた。鷲のような爪をしている。鋭くて恐ろしいが、風船欲しさに不敵に笑うその顔には幼さがあった。
「これは、失った俺の人生への熱意であり、生への標的でもある!」
そう言って、私の顔に風船を近づけさせた。赤色の風船に私の顔が映る。男の熱意なのか、頬が焼けるように熱くなってきた。頬も風船も溶かすような灼熱の焔を感じる。
これが彼の本当の熱意だろうか。自己肯定に囚われた影に潜む自己否定が笑って泣いている。泣いて笑っているかもしれない。風船を手放した私も自分のものにしたいと願いながら、自分のものになって欲しくないと嘆いていたのだろう。
太陽が持つ、生命を包み込む陽光の温もりと全てを焼き尽くす光線の熱さを私と彼は求めていた。そして、求めたくなかった。あの赤色を生命溢れる血潮と見れば、鮮血飛び散る血痕と見ていた。結局のところ、2人して血色ある人肌に飢えていたのだ。
私は生まれ変わった赤い風船を彼に渡した。
「明るいペシミストの王よ、貴方への贈り物です」
「ふうん、民草にしては良い贈り物だ。この偉大なる王が貰い受けようではないか」
彼は不慣れな手で受け取った。震える手の中で、風船が今にもすり抜けてしまいそうだ。歓喜と悲観に彼の口元が歪む。だが、王は笑うことにした。大鷲の翼を広げるように、溢れ落ちそうな涙を振り払った。
彼は目の前にいる民草に示したのだ。明るいペシミストの唄を。
「さあ、お前も俺を敬え、崇めろ。さすればお前を愛してやる。愛する者よ、涙を湛えて微笑せよ」
(250402 空に向かって)
4/2/2025, 1:00:13 PM