或る本の巣、模写。

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ひみつの標本

昔のことに思いを馳せると脳みそが痒くなる。
喜怒哀楽は甘い、酸っぱい、苦い、渋いのように味覚で情報整理されているし、特に記憶に残っているものは温度や匂いまで伴ったりする。

例えばこれは右目の奥、脳の中心あたりにある記憶。

「しょーちゃんはなんでもできてずるい」
運動会のリレーの選手はだいたい地域の少年サッカーを習っているメンバーが選ばれていた。
俺も多分にもれずその常連であった。

口を尖らせて眉を寄せるのは誰だったっけ。

特段リレーの選手になるための努力はしたことがない。

サッカーのレギュラーになるための努力はしていた。

けどそれは報われなかった。

そんなことも知らずに奴は俺を羨んだ。

苦くて生ぬるい嫌な記憶だ。
満員電車で目の前の座席が空いたので座ったものの、直前の客の湿度が不快だった、そんな感覚。


ラブレターを書いたけど直接渡す勇気がなくて持ち帰ってしまった日は冷たいのに焦げたカラメルみたいな甘い匂いがする記憶。


2度と出なかったピアノの発表会。


初めて取れた志望校のA判定。


ネットゲームで知り合った友達に初めて会えた日。


記憶が脳をくすぐる。
そのたび、味覚嗅覚温度覚が記憶を呼び起こし、刺された虫ピンをチクチクと刺し直す。

感情は目に見えないし、文字に残らない。
それでも記憶という
ひみつの標本は、ひとつ、ひとつと増えていく。

11/2/2025, 12:53:42 PM