【現実逃避】
現実逃避をしたところで現実は変わらぬのだ、とわかってしまった頃から、私は少々大人になった心地がする。
今では減ってきてはいるが、まだ現実逃避をすることはある。
時折意図的に紡ぐこの不用意な時間は、私の心を潤しているようにも思えるのである。
私は現実逃避にパターンを持たせている。
他人が完成させた小説や映画は特にお薦めである。
私以外の人間が作った世界を知ることで、いかにちっぽけな悩みを持っているかが判明する。
聖書のように神が救ってくれるわけではないが、人を救うのは人と思えば、神の出る幕ではない。
こんなところでいちいち出られていては、神も気が休まらないってもんである。
次いで自分会議である。
脳内の何人かの自分と話し合うのである。
自分だけなので結論は予定調和であるが、まるで他人が会議しているかのような錯覚を感じさせ、物事を客観視する時間となる。
ひとりだと寂しいので、私は分身を何人か作ることで気をまぎらわせるのだ。
敢えて時間を置くことで、頭をクールダウンさせつつ、次はどう行動すべきかを読むのだ。
だがやはり、そんな現実逃避も歳を重ねると変わっていく。
結局のところ私は現実に不安を感じる。
現実逃避をしているのに現実の不安が頭を過るため、いてもたってもいられなくなるのだ。
現実逃避をするために現実と向き合う。
つまりは現実と向き合った後で現実逃避を実施することもあるのだ。
これはご褒美という名目となり、順序を変えるだけで意味が変わってくるのだ。
かといって現実といつ向き合おうが、順序を変えようが結末は変わらないのだから、とっとと現実に折り合いをつけてから挑むのがいいところである。
物事に愛を見出だせば、何だか現実とも戦えるように思えるのだ。
要は愛と勇気である。
私はアンパンマンか。
2/27/2024, 1:14:19 PM