あかるあかり

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『あの日の温もり』

 供物として娘は捧げられた。
 神の花嫁と云えば聞こえはいいが要は人身御供以外の何ものでもない。
 神かあるいは物の怪の類いか。正体もわからぬ超常の存在に捧げられた供犠。
 神の血の裔とされる王と一夜を過ごし、王との契りを神域のものである印としてつけられ、娘は小舟で海へ漕ぎ出される。そして陸から遠ざかった沖にて、娘は漕ぎ手に促されると海へ身を投げた。

 両の踝に重い金の輪飾りがつけられていた。
 純金と嵌められた数々の宝石。それは花嫁装束の飾りであり、海の底へ沈めて戻られぬための重石であった。

 水。圧倒的な水。
 空気はすぐに肺から抜け出ていった。
 呼吸のできぬ苦しみ。それもすぐになくなる。意識を重く閉じ込める水の壁。冷ややかな水の世界で命尽きた娘の、最期の感覚は、だが水の冷厳ではなく温かなひとの肌の熱だった。

 神の末裔。王国の国主。十年に一度行われる、この非道で愚かな儀式の祭主。
 若い王だった。娘は王がまだ王子であったとき、御幸にてわずかに見かけただけだった。その一目で充分だった。
 王子と娘に何の関わりも生じるはずはない。
 王都から離れた鄙びた村で娘は噂でしか王の動静を聞くすべもなかった。

 やがて王子は王となり、同時に妃を娶った。
 血を残さねばならない王の義務として側女も幾人かとった。そして王子王女に恵まれた。
 娘の住む鄙びた村ではどれも噂に聞くだけだった。

 そして、十年に一度の祝祭がくる。
 王家の祖である海神に供犠を捧げなければならない。誰もが恐れて、うら若き娘を家の奥へと隠す。だが誰かが犠牲にならねばならぬ。
 そんなとき、娘は恐れながらと手をあげた。

 この機を逃せば、王と己れの接点は永遠にない。
 娘はそれだけに賭けた。
 娘は選ばれた。
 海神の花嫁として美しく飾りたてられ、王の閨へ招かれる。王は明らかに供犠に興味などなく、だがこの儀式の意義を知っているゆえに娘を丁重にもてなした。
 ただの一夜。
 王と過ごせる。それも妃よりも近くに取り立てられる。たったの一晩、それでいい。この一夜を逃せば何もないのだ。

 王は日没から夜明けまで、娘に王の印をつけた。

 一夜の王の肌の熱。
 自分の肌に触れた王の手と唇と。

 幸福な記憶をなぞりながら、娘は海の底まで、墜ちてゆく。

2/28/2025, 11:11:49 AM