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 ぽちゃん。ぴたん。庇の陰にしゃがみ込んで、雨止みを待っている。どんよりと澱んだ雲はどこまでも厚い。湿った空気と、冷たく地面を跳ねる滴が全身から体温をじわりじわりと奪っていく。鳥の声すらも聞こえてこない。
 私は、雨の日が好きではなかった。
 むしろ好きな人はそう多くないはずだ。お日様が出て、爽やかな風吹く日のほうがいいに決まっている。そんな時に、町の外れにある草っ原で寝転がってお昼寝するのがなによりも心地いい。
「……はやく止まないかなぁ」
 願掛けのようなもので、雨除けの傘は外に出る日はできるだけ持ち歩かないようにしていた。だから毎度、降られた日にはこうして雨宿りをする羽目になっているのだけど。
 頬杖をつく腕に布が貼りついている。同じ屋根の下、濡れた土の上にいるコオロギも同じように出て行かずにいる。お揃いだね、なんてひとりごとを溢して空を見上げた。
「こんにちは」
 ふと、目の前に影がさした。頭を上げる。すると見慣れた顔が微笑んでいた。へらりとした、掴みどころのないひょろい男だ。突き飛ばしたら簡単に尻餅をついてしまいそうな奴の登場に、眉間に皺が寄った。
「……」
「聞こえなかったみたいだね。こんにちは!」
 小さな声で挨拶を返す。それに気をよくしたのか、鼻唄でも歌いそうな調子で男が何かを差し出した。綺麗な傘である。……やっぱりな。
「いらない」
「まぁまぁそう言わず」
 男はめげない。わたしも折れない。こうなっては平行線だ。毎度雨の中、外を走って私が去るか男が帰るかしかない。私は差し出された傘をそのまま引っ掴めるほど、この男のようにヘラヘラ生きていない。
「都合のいいことは信用しないようにしてる」
 それが生きるってことだろう。助けが現れることを期待して過ごすほど、弱くなったつもりはなかった。
 その場で立ち上がる。今日もわたしから立ち去ろうとして、初めて呼び止められた。
「気高いですね。都合なんて時の運なんですから、何でも使っちゃえば良いんです」
 だから雨の日は好きではないのだ。
 へらりと笑んだその指先、鍵が摘まれている。それはずっと探し求めていたあの人の品だったのだから。

4/27/2023, 1:56:19 PM