※長いのでのんびりお読みください。
秋恋
──赤と橙と黄が降り頻る中、あなたから目が離せなかった。
秋が似合うやつだと思う。
それはふわふわとした焦茶の髪や温かさを感じさせる橙の瞳という容姿だけではなく、内面も。
正直なところ、秋という季節は好きではない。残暑が続いたと思ったら急に朝の風が冷たくなったり、気温が下がったと思ったら翌日には真夏日になったりする。体が弱い母は、夏の疲れと落ち着かない気候で床に伏せがちになって、幼い頃は寂しさを感じてひとりで泣いた。
あいにく色鮮やかな紅葉を愛でるほどの感性を持っているわけでも無く、風魔法を使ってもなお掃除に苦心する使用人にこっそり菓子を分けてやることはあれど世間の言う紅葉狩りをしたことは無い。この季節に特別美しいという夕日は自分の部屋から見ることはできないし、そもそも強すぎる光は苦手だ。丁寧に整えられた庭園に庭師が認めた以外の虫が生息しているはずも無く、夜は母にその日あったことを話してからすぐ寝てしまう。だから、生まれてこの方虫の声とやらを聞いたことが無い。
そんな、無いことばかりの秋に、ようやく恋と名づけることができた感情を抱く相手と一緒にいる。
「もうすっかり秋だなあ」
ベンチに幾らか散らばっている落ち葉を一枚だけ拾い上げながら話しかけられる。不意を突かれて、返事が遅れた。
「……確かに、急に涼しくなったな」
そう返して、もう少し気の利いた返事ができないものかと俯く。紅葉が綺麗だとか一緒に出かけられて良かったとか、幾らでも返答の仕方は思いつくのに、いざ口を開くと無愛想な言葉ばかりだ。せっかく友人たちが二人で買い物にでも行ってこいと送り出してくれたというのに。
「こういう葉っぱとかどんぐりとか見ると懐かしくなんだよな」
腰掛けたまま近くの枝に手を伸ばして言う。そのまま枝をこちら側へ引っ張り始めた。鮮やかに色づいた葉が、振動でふらふら揺れる。
「国立公園の植物を故意に破損するのは犯罪だぞ」
「だいじょぶ、加減してるから」
確かに本来の力からすればずいぶん優しい触れ方だろうが。変なところで雑なやつだから、うっかり折ってしまいそうだ。魔法で直すこともできない人間が下手に植物に触るなと言うのに、こいつは。
「……懐かしい、とはなんだ。何か思い出でもあるのか」
密かに見張っておくことを決意して、気を逸らそうと話題を振る。
「え、ちっさい頃に画用紙に貼ったり穴あけたりして遊ぶだろ」
言葉の意味がわからずに眉を顰める。葉を、画用紙に貼る。何の意味があって。
「やったことねえの?」
「……無い」
小さい頃は、母と同じで体が強くなかった。気温の変化が激しいこの季節は特に体調を崩しやすく、部屋の中で読書をするか、ぼうっと窓の外を眺めるばかり。それが当然だったし、姉や使用人たちが構ってくれたから寂しさを感じたことはない。だが、こいつと思い出を共有できないのは、どこか。
秋は物寂しい季節だと、母の部屋にある小説で読んだ。きっと、柄にもなく精神が季節に左右されているのだ。
「幼少期にあまり外出した経験が無い」
「やっぱ、貴族って大変だな」
「ああ、そうかもしれない」
「……ふうん」
それきり会話が途切れる。紅葉のついた枝はまだ掴まれたままで、いい加減にしろと手をはたくと少し口を尖らせた。折れてしまわなくとも木にダメージを与えたらどうする気だ、私たちの友人が植物魔法の使い手であることを忘れたか。
広い校内にいくつもある階段の踊り場に飾られている萎れた花を見て、友人が表情を失くしていたのを思い出す。何日も水が替えられていないと言って魔法植物学の教師のところに乗り込み、熱心に語っていたことも。先ほどまでの状況を見たら、こいつは蔓で締め上げられるのではないだろうか。
「あと、秋の空は高いって言うよな」
そうやって過去に思考を飛ばしていると、拗ねた表情をしていたはずの相手が空を見上げて呟く。笑ったり怒ったり拗ねたり、忙しいやつだ。
「そうなのか」
「そ。なんだっけ……実際に雲が高い所に出るとかなんとか。それで空も高く見えるんだと」
「成程。つまりは気のせいだな」
情緒ねえなあ、と笑みを含んだ声で言われてむっとする。うるさい、お前も枝を引っ張っていたくせに。けらけら笑いながら立ち上がって、情緒がない男がもう一度空を見上げた。
「お前の眼も空色なのに」
「は」
なんの意図も潜んでいない、純粋に感想を言っただけのような言葉。思わず声の主の方を見て──その姿に目を瞬かせる。
「何をしている」
「んー?」
しゃがみ込んで落ち葉の中に手を突っ込んだままこちらを振り向いた顔には、得意げな笑みが浮かんでいた。
「秋の遊び、したことねえんだろ? じゃあ今日しようぜ」
「何を」
「だから、葉っぱ貼ったりどんぐり集めたり。寮に持って帰ればあいつらもやるだろうし」
あいつら、と言われて友人たちを思い浮かべた。忙しい幼少期を過ごした彼らは、秋を楽しんだ経験があるだろうか。
「どうやって遊ぶんだ」
「今言っただろ、画用紙とか木の板とかにいろいろ貼ったり、あとはどんぐりと松ぼっくりつなげてネックレスにしたり。妹たちに作ってやると喜ぶんだよ」
「楽しいのか、それは」
こいつの面倒見の良さは弟妹がいることに由来するのか、とぼんやりと思う。幼子のくだらない遊びと言ってしまえばそうなのかもしれないが、きっと心の底から楽しんできょうだいの世話をしていたんだろう。
「楽しいかそうじゃないかなんて、やってみなけりゃわかんないだろ。ほら、どんぐりそこに落ちてる」
「拾えと」
「集めるとこからが秋の遊びだっつの」
「わかった」
落ち葉が敷き詰められた地面に手をつけて、どんぐりや松ぼっくりを探す。む、葉が多すぎてなかなか見つからない。お前の手の中にある大量のそれはどうやって見つけたんだ、魔法でも使ったのか。
「あ、そこ松ぼっくり」
「ん」
指された辺りをがさがさとかき分けると、かさの開いた松ぼっくりが出てきた。ついでに、隣にはいくつかのどんぐりも落ちている。
「な、宝さがしみたいで楽しいだろ」
自分の手に置いたそれをじっと見つめていると、子供のような笑顔で笑いかけられる。
「……つまらなくはない」
「なんだそれ」
素直に楽しいというのも癪で、つっけんどんな返事になった。それでも笑い飛ばしてくれるのだから、こいつの度量の広さには敵わない。
「これは洗った方が良いのか」
「あー、まあ気になるなら魔法で洗うか? 虫とかついてるかもだし」
「虫」
「あれ、嫌いだっけか」
嫌いというか、そもそもあまり見たことが無い。どこかについていないかと松ぼっくりをひっくり返すと、図鑑で見たことのある蟻とやらが姿を現した。
「蟻がいた」
「なんで嬉しそうなんだよ」
「初めて本物を見た」
「マジか」
嬉しさはともかく寮に虫を持ち込むのもよくないだろう、と地面の近くで軽く手を振る。初対面の蟻はあっというまに落ち葉のすき間に潜り込んで姿を消した。
「落ち葉は、どんなものを集めればいいんだ」
「お前が好きだと思った奴でいんじゃね? 弟たちはおっきいやつ集めてた」
「破れていてもいいのか」
「多少貼りにくいかもしんないけど、まあ気に入ったの集めろよ」
そう言って手際よく葉を拾っていく。それを真似て目に留まった落ち葉をつまんで、ハンカチに包む。五、六枚集まったところで布地に目を落として、自分の分かりやすさに思わず手を止めた。
「……」
見事に橙色ばかりだ。誤魔化すために他の色を拾おうかと視線をさまよわせて、いっそ開き直ってやろうと七枚目だろう鮮やかな橙に手を落とす。
「集まったか?」
「ああ、まだ少ないが」
ハンカチを広げると目を丸くしてこちらを見てくる。なんだ、その顔は。
「オレンジばっかだな。他の色は?」
「お前が集めているから問題ない」
自分よりいくぶんか大きい手のひらには、色も大きさもバランスよく葉が集まっていた。慣れているのがよくわかる。
「確かにそうだけど。お前、そんなオレンジ好きだっけ?」
「いや、……」
口ごもって、先ほど言われたことを思い返す。少しくらい、意趣返しをしても許されるだろう。あの恥ずかしさを味わえばいい。
「……お前の、瞳の色だ」
「え? あ、そう、だな……?」
きょとんとした顔を見て、多少溜飲が下がる。やけに幼い表情だ。
「もう集めないのか」
「いや、まだ足りない、と思うけど」
「なら手を動かせ。言い出したのはそちらだろう」
「あ、うん」
落ち葉集めを再開すると、ふいに強めの風が吹いて、ざあっと木々が揺れる。手の中の葉が飛ばされそうになって咄嗟に体で庇った。それでも守り切れなかった一枚が、風に乗って手を飛び出してしまう。予測できない動きをする葉になす術もなく、捕まえようとしたをすり抜けて空へ飛んで行った。
思わず葉を目で追いながら見上げた青空に、橙が映える。
「っ……」
ああ、まったく恋とは厄介だ。知識として持っている以上に感情が揺さぶられる。
これは自分とこいつの瞳の色だ、なんてよくわからない考えが頭を支配して。空色と橙色、その二色のコントラストが、やけに美しく見えた。
──秋を好きと言えるかは、まだ分からないけれど。お前と過ごすのならば、この季節も悪くは無いかもしれない。
2024/9/29 #6
9/22/2024, 9:39:55 AM