ドルニエ

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 あの人は今どこを旅しているんだろう。俺の*を*****たあの人は。
 毎日がオルステラの言葉、オルステラの風習、オルステラ人の振る舞い、そんなものの勉強だ。老人たちを言いくるめての、「復讐」の旅の準備だ。老人たちが用意したそのスペースにむかって、毎日熱心に異国の言葉をつぶやき、見たことのない身振りをしている俺が、他の村人たちにどう映っているのかはなんとなく分かる。
 謎、酔狂、無駄、気がふれた――そんなところだろうか。
 とはいえ、普段から大して役に立たない俺が毎日こうしていても誰も困らない。せいぜいいてもいなくても困らないやつが、仕事をさぼって訳の分からないことをしている、困った話だ――という程度だ。
 そう思われていても、もう悔しくもなんともない。もともとこの村における俺の評価は低い。力もない、無駄な技術だけはもっている、見張りだけなら人並み。そのうえ、仲間を見捨てて、怪我だけして帰ってきた臆病者。両親が死んでからはずっとそんな扱いだった。だから、ここにいつづけたいと思う理由はない。むしろ出ていくことが許されてせいせいしている。そのための努力ならいくらでもしてやる。そう思う。
「カルロス。今日のご飯と差し入れ」
 そう言って俺のすぐ後ろに、俺の取り分にちょっとした色をつけた食料を置いてくれるのは、この村で数人しかいない、俺を少しは好意的に見てくれる稀有な仲間のひとりだ。俺は目の前のものから意識を外し、長いことじっとしていたために思うように動かせなくなってしまっていた身体を反転させてその人を振り向き、礼を言う。
「君がどうしてこんなことを始めたのかは分からないけど、あまり根を詰めないで」
 ごくごく小さな声でそう言ってくれる変わり者に礼を言うと、持ってきてくれたものをひとつ、がりがり、ごりごりと音をたてて飲み込める程度に噛み砕くと、ごくりと飲み込む。
「美味い。いいところを持ってきてくれたんだね」
「そう。みんな心配してる」
 みんな、とはもちろん俺に好意的な変わり者たちのことを指す。
「そんなに大事なの?その復讐って」
 君がひとりでここを離れることが心配だよ、そう言葉を続ける。
「答えることはできないんだ。それでは駄目かな?」
「……そうなんだ」
「さすが」
 表面的にはほとんど意味をなさない言葉の裏を、目の前の仲間――友はすぐに読んでくれる。それがうれしい。俺は親愛の情をあらわすかなり強い言葉を口にし、触れる。――温かい。こんなところでも、仲間の肌というのは温かいものなんだな。そう、思うと鼻の奥がつんとしてくる。
「へへ」
 そんな、はた目には絶対に分からないようなことも、目の前の仲間は鋭敏に感じとってくれる。
「ありがとう。――そろそろ戻ったほうがいい。君まで冷ややかな目で見られてしまう」
 だから行ってくれ。そんな気持ちを視線にのせると、俺は友に背を向け、再び勉強をはじめる。後ろの気配はなかなかなくならない。
「『ありがとう』」
 知らず、オルステラの言葉が出てくる。もちろん友には通じない。だから、ここの言葉で言いなおす。
「ありがとう」
 そう言うと、友の気配はす、と消えた。
「『ありがとう』」
 たぶんここを出たら君たちと会うことはないだろうけど、君たちがいてくれてうれしかった。
 ここから出て行きたい気持ちと、彼らにもっと励まされたい気持ちが滑り込んでくる。
 でも、それでも俺は、あの人を追ってここを出る必要があるんだ。
 たぶんあの人が、いや、あの人にかかわることで、俺は俺や世界に納得をもてるように、なれる、気がするんだ。そう、勝手に期待している。信じている。
 いくつもの場面、いくつもの言葉、いくつもの身振りが映しだされる。俺はそれを見つめ、言葉を真似、言葉を作る。考えをもつ。
 だめかもしれない。実を結ばないかもしれない。でも、ここにいるほうが悪い。
 がりがり、ごりごりと差し入れを噛み砕く。
 一歩には満たない。半歩にもまだ及ばない。それでも、繰り返していけばやがて一歩になる。百歩になる。そしてそれらを束ねることで、旅路になる。旅人になれる。
 旅人に、俺もなるんだ。

2/26/2024, 2:12:16 PM