消毒液の匂い
白で統一された部屋
オシャレの欠片もない患者服
唯一の楽しみは窓から見える景色のみ
『絵になるね』
そんな言葉を幼なじみに言われた
いつもなら趣味のカメラを構える彼がカメラを持たずにそこに居る
軽く10年は見ない光景だ
『スマホで撮影する?』
『“院内での撮影は御遠慮ください”って書いてあってさ』
『書いてなかったら撮ってた?』
『もちろん』
問いかけに二つ返事で答える彼に清々しさを覚える
それと同時に…ルールを守る彼が“いつもの彼じゃない”みたいで不安になった
『私よりカメラを見てる方が多かったのにね』
『残したかったんだよ、綺麗なもの全部』
貪欲に…どんなものでも撮影していた彼が
それでお金を稼げる腕の持ち主が
たかが幼なじみが精神を病んだくらいで趣味を机に置く
ベッドの上にいる“オタル アカリ”には現実味がない
『…今もおばさんのような人を撮りたい?』
薄い掛け布団ごと身体を丸め膝を抱え彼に問う
中学生の頃…まだ普通の子達のように学校に通えてた時
彼は…“シマヅ テルヒコ”は自身の母親が出演した映画を、遺作を鑑賞した
その時自分も隣に居た
物心ついた頃から隣にはテルヒコが居た
近所に住んでるお兄ちゃん的な存在だった
そんなテルヒコの母親は女優で
妊娠中に病を患い子の生命を優先にした人だと聞いた
その妊娠期間中に撮ったノンフィクションの家族愛がテーマの映画だ
段々と弱々しくなり細くなる身体
時折糸が切れたように光を失う瞳
それでもなお、子に何かを遺そうと膨れた腹に語りかける
来てくれてありがとう
『いや、アレは俺っちには撮れない』
テルヒコは少し考えてから答えた
『アレは“撮影者(父さん)”と“演者(母さん)”と“小道具(俺っち)”が居て成り立つ現実で…芸術では無いから』
遺作であり名作と言われた古い映画
母子ともに健康のハッピーエンドなんて何処にもない
あるのは医者の宣告通り…母体がもたないという現実
そして殆どの時間を他人としか過ごしてない息子がそこに居る
『俺っちのカメラじゃリアルは撮れない、全部芸術になる』
『芸術でも良くない?』
『んー…そこは拘りというかリスペクトかな』
リアルなものを芸術に落とし込むのはダメなのか…
アカリにはよく分からない
『フラッシュバックの方は?』
今度はテルヒコが問いかけた
アカリはとある事故に…いや、テロに巻き込まれた事で精神を病み入院していた
現実味のない事が日本で起きて…何人もの人が亡くなってしまった
今でも悲鳴が頭に響いて動悸と過呼吸に襲われ倒れる事もある
『ぜんぜん』
『酷いのも?』
『うん、学校も中退』
『オソロイじゃん』
『でも私は仕事もしてないよ』
せっかく入れた自由度の高い大学も中退
入院初期は連絡をしていた友人も今じゃ音沙汰なし
大好きなオシャレもショッピングも出来ない
『でも生きてて嬉しいよ』
両親が仕事の合間を縫って会いに来てくれるだけありがたい
こうして幼なじみが週に一回…最近はほぼ毎日来てくれるだけありがたい
独りになった人も居るのだろうに…
比べれば全然幸せだろうに…
『私は苦しいよ』
酷い言葉が口から零れてしまう
涙がポロポロ溢れてしまう
せっかく“生きてくれて嬉しい”って言ってくれる人が居るのに
せっかく“生きてる”のに
こんなにも生命が重たく…己が軽い…
『こんなんじゃ皆みたいになれない』
『それぞれのペースがあるから大丈夫だよ』
父親は仕事で不在で…母親は病気で亡くなって…そんな彼に放つ言葉じゃない
『沢山の人に迷惑かけてる』
『誰かのお世話になるのは悪い事じゃないよ』
母親の大親友だから、という理由で他人に預けられていた彼に放つ言葉じゃない
『パパにもママにも邪魔だと思われてるかもしれない』
『そんな事ないよ、大切にしてるから会いに来てくれるんだよ』
彼が返す言葉はあまりにも重くて
『こんなんじゃ親孝行なんて出来ないもん』
自分はあまりにも弱くて
『こんなんじゃ誰からも愛されないよ』
苦しい
『俺は愛してるよ』
全てがノイズみたいに聞こえる
『…嘘…』
『嘘じゃない』
『…カメラの方が愛してる癖に』
15年隣に居たのだ
彼が見続けてたものを隣で見ていたのだ
『それはそうかもしれない』
へんに嘘をつかない事も知ってる
『…そこは嘘でも君の方がって言うべきでしょ?』
『いや、ココで嘘ついたら本音全部パーじゃん』
『…それは…そう…』
『だろ?』
あまりにも清々しい彼の態度に出かけた嗚咽も引っ込んだ
それと同時に先程の言葉に罪悪感を抱く
『…さっきはごめんなさい』
『ん?謝るところあった?』
なのに彼はこの調子
『…テルヒコも辛い事たくさんあるのに…』
『え〜それ含めて俺っちだしな〜』
『…強いね…』
『ども〜☆』
『…軽いね…』
『重い方が良いかな?』
『うん、少しは真剣に悩むべきだと思う』
『手厳しい意見…』
コロコロと表情を変える彼にクスリと笑いが誘われた
未だにポロポロと涙は零れ…鏡を見たら再度落ち込むくらいには不細工な顔に仕上がってる
なのに笑ってしまう
『あーぁ…恋バナとかないの?テルヒコ』
『無いよ?』
『面会時間終わるまでにそーいう経験思い出してよ、気分上がるじゃん、恋バナ』
『無茶振りにも程があるけど…なんかあるかなぁ…』
腕を組み長考に入る彼を眺める
自分と違い…テルヒコは社会に出てはいる
きっと出会いも多いだろう
…
『…私って結婚できるのかな…』
『どした?急に』
『こんな状態じゃ嫁の貰い手ってつかなくない?介護が確定してるもんだしさ、白馬に乗った優しい王子様とか言ってられる身分じゃないじゃんね』
『そんなもんなのかね、愛の力ってもっと凄いイメージあるよ』
『現実はそんな甘くないでしょ〜…愛の力だけじゃ衣食住も出産育児も老後も乗り越えれないよ、二人の力を合わせてこそじゃん?』
『金ありゃ解決じゃん』
『金持ちで病気ごと愛してくれて結婚出来るほど信頼できる人ってのはポンと現れないんだよ』
『じゃあ俺と結婚する?』
…
『は?』
『愛してるし嘘つかない、子育ての経験は無いけど金はあるし貯金もある、あと幼なじみ補正で義両親と仲良し』
『いやいやいやプロポーズにしては軽すぎるでしょ?“する?”で決まるもんじゃないじゃん』
『じゃあ明日婚約指輪持ってきて真剣に重ためのプロポーズするよ』
『それはそれで嫌!綺麗な夜景が見えるレストランとかでサプライズが良い!』
『任せろ、良いのを計画する』
『待ってこの時点でサプライズじゃない!』
看護師さんの“病室で騒がないで下さい”という注意を頂くと同時に面会時間が終わりを告げる
『ヤダヤダヤダこんなプロポーズ嫌だもっと可愛い服着てる時が良かった!』
『読んでたファッション誌の最新号持ってくるよ』
『嫌な初めての奪われ方した〜嫌だ〜』
『ほんじゃまた明日ね〜』
スタコラサッサと病室から出てったテルヒコの背中にアカリの喚き声と看護師が宥める声が届く
紅葉も進み冬がチラリと覗くというのに
秋風は吹かない
〜あとがき〜
秋風が吹くって言葉の意味に“飽きが来る”ってのがありまして
ちょっとした恋愛小話をサクッとさせて頂きました
展開早めでポンポン駆け抜けたけど個人的には“可愛い2人だな”と思ってます
アカリちゃんはPTSD持ってますがテルヒコと居る時は軽い情緒不安定で終えられてますね
愛の力ってやつカナ
11/14/2024, 1:04:28 PM