このえ れい

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 彼女を見るたびに、心臓が痛かった。同僚で同じ部署の彼女は、誰にでも優しく、どれだけ忙しくても穏やかな笑顔を崩さない。先輩をたて、同僚に対しては分け隔てなく、後輩には親身に。まるで人類のお手本のような彼女は、誰からも好かれ、信頼されている。おまけに誰もが認める端麗な容姿、さらにはシゴデキときた。
 私が好きになったのは、そういう人だ。私とは天と地の差、雲泥の差、月とすっぽん、提灯に釣鐘だ。平凡以下の容姿に平凡な仕事の出来、人の好き嫌いが激しくて上司に逆らうので評価は決して高くはなく、後輩には面白がられるが先輩や同僚には好かれない。そんな私が、社内で一番人望のある彼女に惹かれてしまった。
「無理があるよな……」
 給湯室でがっくりとしゃがみこむと、なぜか懐いている後輩が声をかけてきた。
「何が無理なんですか?」
 私の顔を覗き込むツインテールが揺れている。この後輩は、いつもこの髪型だ。職場にツインテールはないだろ、と思いつつ、面白いので放置している。今のところ、この後輩が上司や先輩に髪型を注意された形跡はない。こいつも上手いのだ、人心掌握が。
「君には関係ないよ。仕事しな」
「お昼の時間ですよぅ。先輩、一緒にご飯でもどうです?」
 もうそんな時間か。雑務が嫌すぎて給湯室に避難していたら、昼休憩になっていた。これもいつものことだ。我ながら、よく減給とか左遷とかにならずに済んでいるものだ。デスクにいないことに気づかれていない可能性もある。
「いや、お弁当だから」
 私が言うと、後輩は、にやっとして、かわいい布に包まれた弁当箱を翳した。
「私もお弁当なんです。天気もいいですし、外で食べましょ」
 有無を言わさず、後輩は私の手をとり、ぐいぐいと引っ張っていく。
 会社の中庭に着くと、後輩はベンチの一つを陣取り、膝の上でお弁当を広げた。女の子に人気のキャラ弁だった。誰が作ったのか気になるが、おそらく彼女自身だろう。この後輩は、あらゆる面でおそろしく器用だ。
「で、何か話でも?」
 私が自作の弁当をつつきながら口火を切ると、後輩は、にっこりと笑った。
「はい、先輩の恋煩いについて」
 私は卵焼きを喉に詰まらせた。胸を叩いて卵焼きをどうにかしようとするのを、後輩が背中を叩いて援護してくれた。
「あらら、ごめんなさい。そんなに動揺するとは思いませんでした」
 何をぬけぬけと。涙目で後輩を睨むと、後輩は舌を出した。
「いきなり本題に入ったのは謝ります。けど、バレバレですよ先輩。溢れる思いが滲み出てます」
「え、嘘」
「嘘じゃないですよぉ。誰が見たってわかりますって」
 ようやく飲み込んだ卵焼きとともに、その言葉が脳に浸透した。
 誰が見たってわかります? 信じたくない。
「じゃあ、その『恋煩い』とやらの原因の名前を言ってごらんよ」
 せめてもの虚勢、顎を上げて挑発しても、後輩は怯まなかった。
「うふふ……それは」
 後輩が言った名前は、彼女のものだった。なぜバレた。もう虚勢は通用しない。頭を抱えて煩悶する私に、後輩はころころと笑った。
「先輩、そういうとこ、ほんとかわいいですよね。わかりやすくて」
 私は後輩を睨んだ。虚勢は通用しなくても、腹立たしいことはある。
「あんまりバカにしないでよね。……無理なことくらい、わかってるんだから」
「バカになんてしてませんよ。むしろ、協力したいと思ってるんです」
「はい?」
「だから、協力。したいと、思ってるんですよ」
 一語一句、噛み締めるように、後輩は言う。
 協力だって? こいつに何ができるんだ。ちょっといい顔すれば仕事を減らしてくれる上司がいて、私の同僚たちもすっかり騙されていて、こいつの同僚も男子は骨抜きだが女子にはすこぶる評判の悪い、ツインテールの小娘が。
「あ、今、私の悪口言ってたでしょ」
「言ってないよ」
「まあいいです。事実なので。それより、私は先輩が好きなんですよ。人としてね。だから、先輩に好きな人がいたら協力したいと思うのは当たり前でしょ」
 はあ。気の抜けた返事しかできない。私のことが、人として好きだって? それこそどうかしてる。
「信じるか信じないかは先輩次第です。でも、先輩のことが好きなのは事実なんです。だから協力しますよ」
 キャラ弁の目玉をつんつんしながら後輩は言う。いつもは高めの声が耳を若干つんざくが、今日はそんなに気にならない。
「……ほんとに?」
 恐る恐る尋ねると、後輩はこちらを見て、にやっと笑った。
「ギャルに二言はないです。計画、立てましょう」
 なんせ、私は百戦錬磨ですから。そう言う後輩の目に、一瞬、寂しげな影がよぎったのは気のせいか。
 まずはバレンタインですね。相手の好みは把握してますか?
 空に箸を掲げる後輩に、今は感謝しておこうと思った。

2/5/2024, 2:29:20 PM