【風に乗って】
想いや噂はよく風に乗る。
理由としては囁かれたり、行動で見られたりと様々であるが、これだけは届いてほしくない、というものもきっとあるだろう。
“あいつが嫌い”だとか、“あの子が羨ましい”だとか。はたまた、“彼が好き”だとか。
そんな嫌悪や羨望、恋愛感情は最悪人間関係の破壊にさえ繋がってしまう。それでも、風に乗ってでも伝わってほしい、と願う人がいるのは、そうであったとしても伝えたいという強い想いがあるからなのだろうか。
……結局、“想い”が全てなのだなとはよく思うことである。
【刹那】
刹那、それは一瞬。
その一瞬を積みに積んで生きているのだと考えれば、今のこの一瞬を無駄にしたくないと言う人の意見も理解できるかもしれない。ただ、とにかくその一瞬とやらを求め過ぎて先を考えないのもよろしくないらしい。今が楽しければいいじゃないか、先のことなんてどうでもいいと言う考えを振りかざして生きている私には、さぞ理解できないことである。
どちらにせよ、今というこの瞬間を大事にしなければならないのに違いはない、そうだろう?
【生きる意味】
人それぞれに“生きたい理由”というものがあるだろうと思っている。
「そんなのない」と思う人もいるかもしれない。ただ、それは心当たりがないだけで、おそらく何かしらの理由がそこにはあるのだろうと勝手に解釈している。だって、理由がないなら極端な話、死んでも問題ないのだから。けれども、そんな人に限って死にたいかと聞けばそうでもないと言う。つまり、結局のところ、人間として生まれてからは、“生きる意味”こそ見つからなくても、それだから死にたいのかといえばそうではないみたいである。
【善悪】
人によって善い、悪いの判断基準は違うと思う。
それは当然だ。だって国や地域だけでも風習の違いでぶつかることがあるのに、その根幹である人間の考え方が違わない訳がない。過去や未来でも、きっと考え方は変わるのだろう。
そんな難解で変化していく“善悪”に、私は対応することができるだろうか。否、対応しなければいけないのだろう。
【流れ星に願いを】
流れ星と聞いて、真っ先に頭に浮かんだのはアニメで見かけた満点の青空の中を走る星だった。私は、流れ星という言葉は知っているが、実際にどのようなものなのかは全く見たことがない。
願いを込めるにしても一瞬を走るその星に三度も願いを唱える暇などあるのだろうか。
この言葉を聞けば、必ずそう考えてしまう私には、“もしかしたら”を楽しむ子供心が消え去っているのかもしれない。