今宵も私は祈る。
そしてリハでも今も心支えてくれている彼をを信じて待つ。
彼と一緒にいれたらどんなにいいか..料理してても虚しくなっていくだけ。食べて欲しい彼が側にいないから。
もし神社前に立つ私を見かけたら、「会いに来ました。大丈夫」って言って欲しい。
そして二人で一緒に歩きながら話して笑いたい。
好きな人は何があってもやっぱり好きなので信じるのみ。
日の暮れゆく土手にて、あなたは黒のTシャツ姿の私にこういった。
「会いに来ました。もう大丈夫だよ。」
そして名前をフルネームで名乗り笑った。
音楽はいつだって普段手の届かぬ心の奥先へゆっくり巡り、底を攫って綺麗に取り残された想いを繋いでくれる、そんな要素を持っていると常日頃思っている。
今日も落ち込んでいた所、とあるアーティストのピアノの音色に救われた。その音色はとても耳に心地よく、私の好きな人の持つ優しさに何処か似ているのは気のせいだろうか?
彼が何処で何をしていようと好きな事には変わりなく、やっぱり笑顔でいて欲しいし幸せでいて欲しい..願わくば、その人の側で日々一緒に笑って過ごしたい。
今日もそんな事を思いながら、祈って、歩いて彼を思う。
今日本当に頭が痛くて文を書く状態でないので、単刀直入に書かせて貰います。
業務連絡になってしまうけど、今日頭痛いので神社行ってから、うちの近くの角にある公園で待ってます。そこで会えたら嬉しいです。普通にあったらダメ?私ちゃんと会ってあなたのこと知りたいです。今年入ってから一度もお話してないですし。
今夜はこれが私の素直な気持ち。待ってます。頭痛いので多めに見てね。以上。
「上手くいかなくたっていいよ。思った事をやってご覧、君は君でいていいんだよ。」
こう言ってくれる親でいて欲しかった。そして上手くいってもいかなくても、その結果に関わらず、自分を見守ってくれるそんな存在であって欲しかった。
親がそうしてくれなかったのであれば、せめて私は大事な人達に対して、彼らが安心して彼らでいられる人になりたい。出来る事あらば助けたいし、一所懸命やった事は躊躇なくその頑張りを讃えたい。悩んでいる事があれば一緒に考えたい。常日頃そう思う。これらは皮肉にも親から学んだ教訓である。
私の好きな人にも、もちろんそう接したい。というか、去年からずっとずっと彼は彼のままで充分素敵な人なので、既に本人にはそう伝えてしまっている。彼といると自然と心の声がダダ漏れになりがちだった。きっと私の声をちゃんと受け止めてくれる、そんな人だって多分知っていたから。
こういった話題は考えるだけでいつもやりきれなくなってしまうのだが、今回はここまで言語化してみてにっこり笑顔の私がいる。
今宵笑顔をくれてありがとう。