「小説?実はちゃんと読んだことないんだよ。はっはっは」
叔父さんは油でテカった髪をわしわしとさせながら笑っていた。
叔父さんは売れない小説家だった。
「漫画なら沢山読んだけどねぇ。小説なんて小学校のときの読書感想文くらいかなぁ。」
「それで小説なんて書けるの?」
僕は叔父さんといるのは気が楽で好きだった。今思えば見下していたところもあっただろう。
「書けるさ。なんたっておじさんは漫画も書いてたからね。」
「漫画と小説は全然ちがうじゃん。」
「見た目はな。でも物語なのは一緒だ。」
「その顔、疑ってるなぁ?いいだろう。おじさんが小説の書き方を教えてやろう。」
「大事なのは読者にいかに伝えるか、だ。楽しいお話をわかりやすく伝えるために絵を使うのか、文字を使うのか。違いなんて結局そのくらいなんだよ。」
「ふーん。なんでよく読んでた漫画は書かかなくなったの?」
「そりゃあおじさんは絵が下手だったからな。伝えたい事を伝えられる絵が描けなかったんだよ。」
「小説はそれに比べていいぞー。文字は絵より簡単に書けるし早いからな。」
「へぇー。」
「お前も書いてみたらきっと楽しいぞ〜。」
叔父さんがにかっと笑う。
「ま、売れっ子になりたいって話になるとそれだけじゃないかもしれんけどな…。」
叔父さんのそんな言葉をふと思い出し、僕はこっそり小さな物語を書きはじめた。
まぁ、確かに、、楽しいかも。
大皿にからあげがひとつ。
これが「日本人」だ。
その横の皿にはキャベツが一口分。
反対の皿には刺身がひと切れ。
「次何飲まれます?」
はす向かいに座る同期が先輩に明るい声で気を利かせている。
そう、何を隠そう私は「気が利かない奴」である。
でも本当の心を言えば、私は気の利かない人間ではない。ただスピードが人より遅いのだけなのだ。
そういう心がそもそもないのなら私が冷えていくからあげを放って置くわけがないのだ。
誰かが手を付けていないかもしれない、実は狙ってる人がいるのかもしれない、気が利かない私が食べるのは忍びない。
しっかり考えているのだ。許してほしい。そう心の中でつぶやいた。
目線のやり場に困らないよう、ジョッキに唇を付けるだけを繰り返していると、先輩はお手洗いに席を立った。
先輩が奥の扉に消えると同期2人からこちらへ冷たい視線が送られる。
「お前ももう少し気を使って行動しろよ」
返す言葉もない。私がどんなに考えていようと行動として見えていなければ考えていないと同じなのである。わかってはいる。
だが、同期らから送られるあまりに冷たい軽蔑の視線に怒りを募らせてもいいではないか。私をそんなに否定するな。
私はこの怒りを爆発させるべく、ついに口を開いた。
「ごめん…そういうの苦手で…」
心の中の私は大声で泣いた。もうボロボロだ。帰りたい。これ以上長引いたら私がもたない。
すると先輩がお手洗いから帰ってきた。
同期の方を見るやいなや、二本指を立てた手を口元に当てるジェスチャーをして合図を送った。
同期らはそそくさと席を立ち店の外へと消えていった。
大きなテーブルと周りの喧騒が私の孤独を強調するようだった。
暗闇へ落ちていく心を引き止めるべく、私はキャベツと刺身を口に放り込み、最後にからあげでフタをした。
僕は無力だった。
カラスが僕達を嗤っている。
ザリ、ザリ。
僕とひろくんの舗装の荒いコンクリートの砂利を踏む音が虚しく響く。
じんじんと痛みの訴えが腕や脚から聴こえてきた。
ひろくんの方をみると、僕と同じ様に小さな擦り傷をあちらこちらにつけていた。
僕はカサカサの唇を噛み締めた。
ズズッ、ズッ。
横から鼻水をすする音が聞こえだす。
ひろくんの耳は赤くなり大きな涙をボロボロと流し出した。
きっかけは些細な事だった。
放課後、僕はひろくんとリバーシをしていた。
すると突然、体がひとまわりもふたまわりも大きな上級生達が僕らを囲み出す。
「それ、やりたいんだけど。」
ひろくんは下をうつむいて黙り込んでいる。
僕は勇気をだして声を出した。
「今、遊んでるから」
それから何度か言葉を掛け合ったが覚えていない。
パァン!!
ひろくんの坊主頭から大きな音がなった。彼らが手を上げたのだ。
すかさず僕は髪を引っ張られる。もみ合いになり必死に抵抗したが僕らに勝ち目は無かった。
僕らは逃げるようにその場を後にした。
悔しい。悔しい。悔しい。
うぐっ…ズズッ。
ひろくんから情けない音が鳴り響く。
我慢していた僕の瞼も熱くなる。
口を開けば僕も涙が落ちそうだったので、ポンとひろくんの肩に手を置いた。
僕も同じ気持ちだよ。辛かったな。唇を噛み締めながら言葉を肩に置いた手に込めた。
家に着くと祖母が迎えてくれた。
何も話さないでいようとしたが、耐えられなかった。
「おかえり」
優しい声が耳に届くと同時に涙が溢れだした。
祖母の胸に飛び込むと、ありったけの大声で泣き叫んだ。
祖母は一瞬驚きはしたが、すぐに力強く抱き返してくれた。
「大丈夫。大丈夫。」
僕の頭を撫でる祖母の手からは玉ねぎのにおいがツンとかおってくる。
今日はハンバーグだ。
「よいしょとぉぉ」
声が小さな声に響く。
デスクワークで痛めた首をぐるっと回し、コンビニで買ってきたハンバーグを頬張る。
ゆっくりと噛み締めながらそんな昔の事を思い出していた。
ふと窓の外を見ると。
まんまるな満月がこちらに笑みを浮かべているようだった
そこに自由はなかった。
目の前の男は足を組み直し、大きなため息をついた。
「君ねぇ…こんな曲だれが聴くのよ…」
男はかつて僕の歌を絶賛し、手を組もうと言った。
夢だけしか持っていないひとりの学生だった僕は、自分が変わる最初の日だと思った。
自分の嫌いを共有する歌、誰かに振り向いてと願う歌、独りよがりな歌は沢山作ってきた。
でもあの歌はそれらとは全然違う。
これを聴く人の心に届ける歌、辛くて苦しんでる人の希望になる歌、足を明日に踏み出すための歌。
顔も見えない大勢の人の人生や心を思い浮かべながら紡いだ歌だった。
そんな歌は男の手によって大々的に世間に公開された。
僕が考えているよりも沢山の人が僕の歌を聴いた。
嬉しかった。
だが、喜びはすぐに霧に隠れる。
「言ってなかったっけ?今回の利益は全部うちで持つから」
男は契約書がどうとか、そんな話をべらべらと喋っていたが何も頭には入らなかった。
話を理解したのは家に着き僕が成り行きで判を押した紙切れを読んでからだった。
ようやく掴んだ蜘蛛の糸。これを離したら上に昇る日はいつになるのか。
今はあの男に次の歌を聴かせるしか考えになかった。
今はまだ、お前を潤すだけの小さな光。
でもいつか大きな星になり、お前を焼き殺してやる。
「好きです」
広大なびんせんの真ん中に、ぽつりと弱々しい字が4つ。
少年がこの時間でひねり出せるのはこれが限界だった。
普段触ったこともないような材質の紙を湿らせないように角をちょびっとだけ指で挟み、あの子のもとへ走った。
「がんばれー!」
応援というよりは興味に近い感情の声が、ランドセルの金具からなるカチャカチャという音とともに後ろから聞こえる。
でも今の少年にそんな事はどうでも良かった。
4年という少年には長すぎる時間溜め込んだ思いがその手に在る。
言葉にする事など絶対にできない内気な少年が、この形であれば、と今日伝える事を決めたのだ。
夕方5時の鐘の音が聴こえてきた。
あの子が公園の入り口に停めた自転車に足をかけているのが見える。
「まって!」
息切れの勢いに任せてあの子に声を投げる。
あの子と目が合う。
今まで感じたこともないような緊張感が体をこわばらせる。
次の言葉がでない。あの子からの視線が少年ただ一人に注がれている。
鐘の音の余韻が夕焼けの空に響く。
どんどん膨れ上がる逃げたい心を押さえつけるように
小さな紙を掴む手を目の前に差し出した。
「えっ…」
「これ…よんで…っ」
少年にはこれが限界だった。
あの子の手に少年の4年間が握られたことを確認するやいなや少年は来た方向へ走り出す。
真っ赤な強い光が少年の目を指す。
あの子の頬は何色だったのだろう。