ふわふわ。ふうわり。
赤い風船が、空高く浮かび上がった。
風に乗って、風船はどこまで行くんだろう。
俺は刹那主義者だ。誰が俺に言ったか忘れたが、その時その時楽しければ後はどうだっていい。そういうのを刹那主義者というらしい。
俺の生き方は褒められたもんじゃないんだろう。
金も人間関係も女も今の俺を彩る付属品だ。
その時その場で笑い合えればそれでいい。
人生なんて、そんなもんだ。
生きる意味は。意味は。
ただ生きているだけの身からすると、難しい。
お腹が空くから食べて、眠いから眠る。
死ぬのは怖くて痛くて苦しいと思うから現状維持。生きている。
それでも、そんな自分でもお風呂は入るし体も頭も顔も洗う。出掛けるときには服を選んだりする。
例えば外に出て、深呼吸。
見上げた空は月がキレイで――――月は私が死んでもキレイだろうけど、キレイな月を見て幸せな気持ちになったのは生きているから。
四季折々の景色も楽しみだ。
私の生きる意味は、そんなところ。
善悪。
善であろうが悪であろうが、の意から、いずれにせよ、兎にも角にも、是が非でも、の意味があるのだそうだ。
そうだ。
困っているときに差し出された手を取るときに、相手が善か悪かなんて言ってられない。
いずれにせよ、差し出された手は差し出されたのだから。
流れ星に願いをかけるなら、流星群の最中、できれば雨の日か曇りの日がいい。
目で見たもの感じたものが確定事項となり世界を形作る、という考え方がある。
つまり観測できなければ不確定事項として存在するんだ。雲の上では星が降ってると思って、願い事を3度心の中で唱えてみよう。
もし、願いが叶うなら、雲の向こう、タイミング良く星も流れているだろう。流れ星の確認は敢えてしない方がいい。
大丈夫。
本当に流れ星に願いをかけて叶うなら、叶う願い事をすれば事象の方から追いついて来るよ。