「たとえ間違いだったとしても?」
あと時、わたしが選んだ答えが
たとえ間違いだったとしても?
それは、貴方がどう捉えるか?
その間違いを間違いだと
言えなのは?
何故なのか?
間違いは間違い!
そう言って欲しかった。
今、思うとわたしは敢えて
間違いを貴女に伝えて
その答えを説いたかったのでは
ないのか?
二人の間違いは
いずれ、遠い彼方へ
何も無かったように
色褪せるのかも?
めぐみより
何もいらない!
そう、愛する人と
一緒なら、何もいらない!
それがわたしの望みだから。
めぐみより
そんなの
つまらない人生になる!
「夢見る心」
夢のある人ない人
その違いはなに?
夢のある人は
希望に満ちて、毎日を
大切に生きてる。
夢のない人は?
日々の暮らしに流されてしまい。
希望もなく生きてしまっている。
確かに、夢のあるないには
夢を考えるスタートから
それぞれの道が分かれてしまってる。
それでは、考えてる見ましょう。
夢のない道を選んでしまったとしても
もしかして、自分の夢を見付けたら
夢のある道へ合流でしますよね。
夢を見つけたスタートは遅くても
夢が叶う結果が同じなら
スタートした。
場所が違えども、それで
いいと思いませんか?
もし、夢のある人が
その夢に挫折してしまったら?
どうしますか?
それは夢のない人になってしまうと
思いませか?
じゃ、夢って何かな?
本来、夢って
睡眠中に、蓄積された脳が
情報を整理する為と良く言われてます。
それなら、幻とも言えるのに
何故、人は夢と言う言葉を使い将来の
希望を現実化にするに使っていの?
現実化に出来ない夢を見ている様な
ことを言ってる事から
夢を当てがっているだけの
願い事に過ぎない。
でもね。
やっぱり夢見る願い事が合った
方が、いいと思いませんか?
現実化、できない夢なんか
見たって何にも意味がないと
言いたいのも、分かります。
それなら、現実化できる夢を
願って見たらどうですか?
例え小さな夢でも叶ったら
それはそれで、生きる喜びも
できますよね?
その小さな夢の積み重ねが
やがて大きな夢へと変わると
わたしは思っています。
夢のない人へ
まずは、小さな夢を持ちましょう。
そこから、スタートして
夢見る心を育てて見たら
いかがでしょうか?
めぐみより
「届かぬ思い」
あれから、いく日もの時が流れ
ふと、思う。
元気にしてるのかな?
元気には大学へ通ってるのかな?
好きな人が出来たのかな?
わたし?
変わらぬ日々を過ごしてます。
何も変わってない。
唯一、髪の毛が伸びたので
思いっ切り、ショートボブにしようかなって
思うけど?
どうかな?
似合うと思う?
思わない?
季節はもう春
桜も咲き誇り、わたしの一番
好きな季節
春の便りと、
無理せず、元気に
大学生活を楽しんで下さい。
届かぬ思いは
こうして、ここに
そして永遠に残ります。
またね、元気でね。
めぐみより