【カーテンが翻れば】
「ほ、本当ですか…!」
受付の人の言葉に、私は目を輝かせた。
「はい、橋本大智さんの入院記録が残っています。」
「え、えと、主治医の先生はいらっしゃいますか?」
「少々お待ち下さい」
待つこと10分、待合室の椅子に座っていた私の元に、60代くらいの小太りの男性がやってきた。
「あなたが太智さんの娘さんですね?」
「は、はい…!娘の橋本海愛と申します。
生前、父がお世話になっていました。」
私は深々と礼をした。
「太智さんの担当医の神崎と申します」
病院内を歩きながら、神崎先生は生前のオトウサンの話をしてくれた。
「太智さんはね、中庭でギターを弾いたり、時には小児科の子供たちと楽しそうに話していましたよ。月に一回、中庭でライブをしたり…」
「え、父がそんなことを?」
「ええ。中庭でちょっとしたライブをしてくださってね。
音楽と医療は相性が良くて、患者さんの心理に影響を与えるんですよ。
いわば、音楽が活力になっているというか。
だから太智さん自身も、他の患者さんも、元気になっていたというか。
お礼を言うのはこちらかもしれませんね、ハハハッ」
そうか、オトウサンは注目を浴びたかったんだ。
いや、ただ注目されたいんじゃない。
他人を巻き込みたかったんだ。
「ここが中庭ですね。
ここは患者さんがひと息つけるような、癒しの場所でもあるんですよ。
入院していると外に出ることがありませんからね。」
私は中庭を見回した。
辺りには鮮やかな木々、そして中央には大きな木とベンチが見えた。
「おっと、ごめんなさい。
診察に行かなければ。」
「お忙しい中ありがとうございました」
「いえいえ、どうぞゆっくりしていってください。」
神崎先生は会釈をし、病棟へと消えていった。
一人残された私は大きな木の下にあるベンチに腰掛けた。
こうしてみると、とても癒される。
神崎先生の言う通り、癒しの場所だ。
ここでオトウサンのミニライブがあったなんて。
きっと、それ幸せ以外の言葉が見つからない空間だったのだろう。
ずっと景色を眺めていると、隣に年老いた女性が座った。
「お嬢ちゃん、家族のお見舞いかい?」
「あ、えっ、えっと、そうです」
本当はちょっと違うけど、焦って咄嗟に嘘をついてしまった。
「いいとこよね、ここは。
入院生活じゃ外に出られないんだもの。
ここはやっぱりいいね、お嬢ちゃんもそう思うだろ?」
「そうですね、空気がおいしいです」
「そうよね。
私、病室のカーテンが風に靡く度に
『外に出たい』って思うのよ。
だけど私は重い病気を抱えているから、もう外には出られない。
だから、ここに来れば自然に還ることができるのよ。
……そろそろ病室に戻ろうかしら。
お医者様が待っているわ」
年老いた女性は重そうに腰を上げ、杖をつきながら去っていった。
私はその背中を見ながら思った。
オトウサンの演奏は殆どの人が知らないんだ。
かつて、ここでミニライブがあったことなんて、殆どの人は知る由も無いのだ。
病院を去る前に、私は屋上へと向かった。
屋上への階段を登り扉を開けると、目の前には思いの外簡素な風景が見えた。
整備されていない道、脇に申し訳程度のベンチ。
殺風景だからなのか、私以外に誰もいなかった。
私は持っている写真と風景を照らし合わせた。
一致している。
オトウサンはここで写真を撮ったんだ。
理由は分からないけれど。
別に何かに気づいたわけでもないので写真をしまおうと思ったその時だった。
「…!」
そこに誰かが居た。
黒いカーディガンを羽織った男性。
背中を丸めてとぼとぼと歩き、やがて小さな塀の上に上がった。
そして手を広げ、空に手をかざした。
私は何だか嫌な予感がしていた。
このままでは、あの人は…
私は駆け出した。
「だめ、」
私は手を伸ばした。
あの人が消えてしまいそうで怖かった。
「やめて、消えないでっ」
私がそう叫んだ瞬間、男性が振り向いた。
オトウサンだ。
私はびっくりして、思わず立ち止まった。
写真で見たことのあるオトウサン。
そっくりだった。
私は口をぽかんと開け、たちつくしていた。
すると急に横から突風が吹いた。
思わず顔を伏せると、
そこにはもう誰もいなかった。
―――――――――――――――――――――
2010/10/22
僕は今日、死のうと思った。
僕の病気は進行していくばかりで、ある日急に病気が治ったら、そのカーテンが少しでも翻ったならば、なんて考えていた。
だけど、もうそんなことを考えても無駄なところまで来てしまった。
だから僕は決めた。
もう死のう。
全て終わらせようって。
屋上から飛び降りて、何もかも無かったことにしようって。
あの日の歌も、ギターも、全て僕には関係なかった。
あの日の喜びは、僕にとって何の糧にもならなかった。
それで屋上に向かった。
少しだけ高い所に立って、手を広げると鳥になったような気分がして良かった。
あとは身を委ねて前に倒れるだけだった。
だけど、急に誰かに呼ばれたような気がして振り返った。
だめ、やめて、消えないで、って。
だけど、誰もいなかった。
きっと空耳、気の所為だ。
だけれど、不思議と「今日は死ぬの延期にしよう」なんて思ってしまって、それでこんな日記を書いているんだよ。
【涙の理由】
目黒区の総合病院は15件か…。
私は目黒区行きのバスに乗りながら、スマホで調べていた。
この中に、オトウサンが入院していた病院がある。
私は溜息をついた。
全部行くには時間もお金もかかりすぎる。
私はすごく後悔している。
何も準備ができていないのに、いきなりオトウサンが入院していた病院に行くなんて。
そもそも私はオトウサンが入院していた病院すら知らないのに。
日記をいくら読んでも、「目黒区の総合病院」ということしか分からなかった。
バスを降りると、目の前に大きな病院が見えた。
まずはここ。
ここに行ってみる。
20分後。
私はとぼとぼと病院を出た。
ここはオトウサンが入院していた病院では無かった。
これは途方も無い旅になりそうだ。
次に訪れたのは、先ほどから20分ほど歩いたところにある病院。
ここに行ってみる。
15分後。
ここも違った。
その後も2件ほど訪問してみたがどちらも違った。
住宅街を独り歩き、私は「次はどこへ行こうか。」と考えていた。
考えていたのだけど。
不意に立ち止まった。
なんだか、泣きたい。
やっぱりこの家出は間違いだった。
素直にお母さんの言うことを聞いていれば、こんなに惨めな思いをせずに済んだのに。
視界が滲む。
涙の理由に脳が冷えていく。
素直に上をみあげられなくなって、涙が零れそうになったとき、
ポツリと何か冷たいものが当たったような気がした。
思わず上を向くと、雨が降ってきた。
あ、傘。
忘れた。
私は小雨をただ受け流すことしかできなかった。
しかし、我に返って「雨宿りしなきゃ」と思い、住宅街を駆け抜けた。
近くにカフェがあった。
ここならちょうどいい。
まだ昼食を食べてないし、ここで何か食べよう。
私は扉を開けた。
店内は木造でレトロな内装だった。
席に座り、メニュー表を手に取った。
あまりにお金を使いすぎるといけないから、高い値段のものは頼めないな。
飲み物はお冷やでいっか。
メニューを注文して、しばらく店内を眺めていた。
この雰囲気、何だか家の近くの楽器店に似ている。
このアットホームな雰囲気。
少し近いものを感じる。
まあ、あそこは潰れてしまったんだけど。
外は雨が強く打ち付けている。
しばらくぼうっと店内を眺めていたけれど、ふとある考えが浮かんだ。
オトウサンの写真の中に、病院の写真は無いだろうか。
私は日記しか見ていなかったけど、もしかしたら写真にもヒントがあるのでは無いだろうか。
もっとちゃんと見てみないと。
私は鞄の中から写真を取り出し、机の上に並べた。
風景写真、家族写真、学生時代の写真、…
あっ。
私は見つけてしまった。
ある建物の写真、病院らしき建物の写真を。
名前は見切れていて見えないが、
「山総合病院病院」という文字があるのが分かる。
私はすぐにネット検索をした。
中山総合病院。
これだ。これだ!
私は静かに興奮した。
場所も目黒区で間違いない。
ここに、オトウサンが居た。
届いたミニパンケーキを頬張りながら、私は必死に調べた。
ここからバスで20分。
十分行ける距離だ。
腹ごしらえをして店を出た。
雨は止み、曇り空を広げている。
涙もとうに枯れきった。
私は立ち止まっていた足を踏み出し、目的の場所に向かった。
【初めての】
10時過ぎ。
列車に乗っている。
人が少なくなった車内は時折揺れる。
私は外の景色を眺めながら、色々と考え事をしていた。
私は家出中。
これから東京に行くのだ。
ここまで何とかやってきたものの、これからどうしようかというあてもない。
それどころか、私は今日の寝床すら考えずに家を飛び出してしまった。
さっき調べたら、ネットカフェなどは午後10時以降利用できないみたいだ。
しかも東京都の条例で、18歳未満は午後11時から午前4時までは外出してはいけないらしいのだ。
終わった。
確実に終わった。
このままじゃ補導されて終わりだ。
今からでも引き返そうか。
今ならまだいける。お母さんにもバレない。
などなど思いながらも、電車にゆらり揺られて2時間経ってしまった。
正午前、品川駅。
遂に、遂にやってきてしまった。
初めての東京。
やっぱり凄い。
カッコいい。
歩いてるだけでカッコいい。
心を躍らせながら構内を歩いていると、通行人にぶつかってしまった。
「あ、すみま…」
すみません、という暇もなく、相手は去ってしまった。
東京の人って、冷たいのかな。
2時間ずっと考えて、私は何をするか決めた。
オトウサンが生前入院していた病院に行ってみようと思う。
オトウサンの日記の内容は病院でのことが多い。
きっとオトウサンのことを知るヒントになるし、担当医の人がいれば色々と聞くことができるかもしれない。
でも、こういうのっていきなり行っていいのかな。
アポ無しって失礼かな。
そんなことを考えながら、私の足はまた電車乗り場へと向かっていた。
ちなみに、オトウサンが入院していた病院は知らない。
―――――――――――――――――――――
2008/05/10
目黒区の総合病院に入院することになった。
しばらく休めば、また家族に会えるだろう。
お医者さんからも「適切な治療を続ければ治る」と言われているから。
しばらく会えなくなるけど、お互い元気で。
【置き手紙を残して】
今日は担任の先生と面談をしてきた。
進路のことを中心に、色々と話し合った。
・このままでは留年してしまう
・最悪、他の学校に転入することも考えなければいけない
・大学進学が難しいかもしれない
これらのことについて説明された。
「夏休みに補講を受けたりなどの措置を取らなければ難しいでしょうね…」
私はネットで検索したことがある。
高校で不登校になったら、どうなるのか。
どうやら、出席日数が足りないと留年するらしいのだ。
難しいことはよく分からないけど、私はほぼ確定で留年する。
留年したくないならば、通信制高校への転校。
「これからどうしたいか、まずは家庭でじっくりと話し合ってください」
担任の先生が出した結論は、これだった。
帰りの車の中で考えた。
私はどうしたいのか。
留年してでもこの学校に残りたいのか。
通信制高校に転校したいのか。
私にはよく分からない。
自分がどちらを望むのか、お母さんはどちらを望むのか。
どの選択肢が未来の自分を苦しめずに済むのか。
分からない。
分からないけど、決めなければいけない。
「夜ご飯食べたら、1回話し合おっか」
信号待ちの車の中、お母さんは私の方を振り返らずに言った。
午後8時。
リビングに向かうと、既にお母さんが机に向かっていた。
私は俯きながら椅子に腰掛けた。
ずっと考えた。
自分が何をしたいのか、どうしたいのか。
結論は出なかった。
だけど、自分は決めた。
「お母さんはね、通信制高校に転校したほうがいいと思う。」
私は悟ってしまった。
お母さんとの話し合いは、きっと上手くいかない。
「やっぱり今の学校で頑張るのは難しいと思う。留年してまで頑張るよりも、新しい場所で頑張ったら良いんじゃないかな、って。」
私は重たい口を開いた。
「私は、」
ここ何日間も見れなかったお母さんの目を、私は真っ直ぐ見た。
「今の学校で頑張りたい。」
お母さんが少しだけ目を見開いたような気がした。
「色々上手く行ってなくて、勉強について行けれてるわけでもない。だけど、友達がいるし、私の可能性を捨てたくない。」
私ははっきりと言った。
「私は、私を諦めたくない。」
これで、私の思いが伝わったなら。
どれだけ良いだろうか。
私はお母さんの目を真っ直ぐ見た。
どうか、伝わって。
しかし、そんな私の願いはそう簡単に届かなかった。
「そんな簡単に事が進むと思って。」
ああ。
分かってた。
分かってたけど。
「あのね、いっつも簡単なことのように言うけど、あなたが言うほど簡単なことじゃないの。このまま留年しても、結局みんなと同じように生活するのは難しいんだし。それならいっそ…」
私は、お母さんの言っていることが右耳から入り込み、左耳から抜けていくのを感じた。
お母さんの言っていることが頭に入らない。
私の中で、ムクムクと風船のような何かが膨れ上がっていくのを感じた。
どんどん膨らんでいく。
膨らむ。
広がる。
そして遂に破れた。
「いっつも!!」
私は水の入ったコップを机に叩きつけた。
水しぶきが飛んで机に散った。
「いっつもお母さんだけで決めないでよ!!
私の話なんか、全然聞いてくれないじゃん!!
なんで決めつけるの!?」
「いい加減にしなさい!!あなたは自分勝手過ぎる」
「自分勝手なのはお母さんでしょ!?
なんでみんなと同じように生活するのは難しいって決めつけるの?」
「それは」
「もういいよ。」
私は涙を堪えながら自室に戻った。
自室に入り、私は膝をついた。
なんで、なんでまた喧嘩してるの。
だけど、許せなかった。
私の可能性を簡単に否定されること。
上から目線な物言い。
全て嫌だった。
もう限界だ。
そう思ったとき、ふとオトウサンのギターが目に入った。
私はしばらく眺め、あることを思いついた。
家出、しちゃおうかな。
東京、行っちゃおうかな。
そんな考えが浮かんだ途端、私はロッカーを漁ってキャリーケースを探し始めた。
あった。
青いキャリーケース。
中学3年生のとき、修学旅行用に買ってもらった。
私はキャリーケースを引っ張り出して、中に服やその他諸々を詰め込み始めた。
翌日、午前8時。
お母さんが玄関を開け、仕事に行った音がした。
私はそれを二階の窓から見て、急いで荷物の準備をした。
所持金は4万円。
電子マネーは1万円分。
そして口座に3万円。
10年以上お年玉を貯め続けた私に感謝だ。
そして不登校の時期にポイ活やフリマアプリを始めた私は偉い。
一階に降りようとして、ふとギターが目に入った。
オトウサンが使っていたギター。
持っていこうかな。
私はギターをケースに入れて背負った。
リビングの棚から、オトウサンの日記や写真を盗み出してキャリーケースにしまった。
これで準備は万端。
机には置き手紙を残している。
「家出します。探さないでください。」
私は無言で玄関を開けた。
いってきます、なんて言わずに。
あーあ、まさかこんな感じで東京に行くとは思わなかったな。
世間が束の間の休みを満喫しようとする中、私は独りだ。
それでも、もういいや。
私は玄関の鍵を閉めて歩き出した。
空は嘘みたいに晴れていた。
【解けない呪い】
死んだ。
私は死んだ。
殺された。
アイツに殺された。
私は幽霊。
いや、アイツを呪う霊。
頭を殴られたから、当然痛い。
もうこの痛みは消えないらしい。
よくも奪ってくれたな。
私の命、未来、金も愛も総て奪いやがった。
これから、花束を持ってアイツの家に行く。
トリカブトの花束を持って。
力を込めて殴られた頭が痛いから、
アイツに同等の苦しみを与える。
「未来が消えていく苦しみを味わえ」
私は夜の街を進み、アイツの家に向かった。