中宮雷火

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10/6/2024, 10:37:46 AM

【回想】

午後三時。
私は本を片手にベランダへと向かった。
玄関を開けると、傾き始めた太陽が差し込んできて眩しかった。
ベランダにあるイスに腰掛け、私は本を開いた。
ちょっとした哲学書。
私は最初のページをめくり、哲学の世界に入り込んだ。

本を読んでいると、過ぎた日のことを思い出す。
主に子供の頃のこと。
子供の頃、私は「楽しさ」とは程遠い生活を送っていた。
両親から…
いや、これ以上は止めよう。
とにかく、私は楽しくなかった。
しかし、音楽に出会ってから幾分は生活を楽しめるようになった。
どこの誰か分からない人の歌声。
心に触れる旋律。
それだけが総てだった。

大人になり、「逃げること」を覚えた。
私は家を出て、都会に出た。
しかしそこでは…
いや、これも止めよう。
とにかく、上手くいかなかった。
そういうわけで、私は自由を求めるようになって、今ではこんな森の中で生活しているのだ。
ここでは、誰も私の自由を奪わない。
それだけでよかった。

しかし、私はもうわかっている。
この美しい日々も、もうすぐ終わるのだと。
私は本を閉じた。

10/5/2024, 10:59:55 AM

【星座の見つけ方】

子供の頃、田舎に住んでいた。
田舎は人間関係が陰湿で、噂話なんかすぐ広まっていた。
両親が喧嘩をすれば翌日には
「薫ちゃん、昨日お父さんとお母さん喧嘩してたでしょぉ〜」
と、近所のおばちゃん達から言われるくらい。
バス停もほとんどなく、あっても3時間に1本程度なので、自転車と車、バイク、鍛え抜かれた足などが必須だった。
当然、そこら中にお店があるわけでもなく、
小学校や中学校も歩いて結構かかるのだ。

だけど、悪いことばかりでは無かった。
何と言っても、自然が美しいのだ。
空気がおいしい。
水が綺麗(しかも美味しい)。
花が至る所に咲いている。
私のお気に入りは星だった。
夜になると、黒色の空一面にスパンコールが敷き詰められるのだ。
芝生に寝っ転がって星を眺めるのが好きだった。
冬は辺りが暗くなるのが早いので、学校からの帰り道で星を眺められた。

大学に合格した私は上京した。
初めに思ったのは、「星がない」ということだった。
建物や街灯がいっぱいあって、星なんか見つけられやしないのだ。
月明かりなんか役に立たない。
至る所に整備された花壇があって、道路なんかちゃんとコンクリートで舗装されているのだ。
暫くして大学内で友達が出来たり、バイトを始めたりして人付き合いが盛んになった。
みんな標準語だからか、次第に私も標準語になっていった。

少し秋の気配がする夜の街を歩き、駅へと向かった。
今年の正月、帰ろうかな。
地元の人達は陰湿であまり良く思っていないけれど。
やっぱり自然の美しさが好きだな、と思う。
地元に帰れば、
訛った言葉遣いではないことに驚かれて、
虫に怯えるようになって、
近くに何も無いことが不思議に思えて、
夜の暗さに目が慣れなくて、
月明かりがやけに眩しくて、
星座の見つけ方なんて忘れてしまっているのだろうな。

10/4/2024, 12:53:58 PM

【堕落のダンス】

彼と出会ったのは、少し古いダンスホールだった。

偶然足を運んだダンスホールでは、皆が楽しそうにステップを踏んで踊っていた。
その光景を横目に私はカクテルを貰い、近くの椅子に座った。
みんな、楽しそうだな。
なんて溜息を一つついたときだった。
「見慣れないお顔ですね。」
ある男性が声をかけてくれた。
「あっ、はい。ここに来るの、初めてで…」
「そうですか。貴方は運が良いですね。
ここは素晴らしい場所ですよ。
皆さん、不自由の中で自由に踊っているのですから。」
彼は私の方を向き、こう言った。
「良ければ、僕と一緒に踊りませんか?」
私は少しだけ目を見開いた。
彼の優しい目が、私の心を撫でた。
「…私で良ければ、喜んで。」

踊り方を知らない私をリードするかのように、彼はリードしてステップを踏んだ。
「ごめんなさい。
私、踊り方とか全く知らなくて…」
「踊り方なんて、誰も知りませんよ。
みんな、心で踊ってますから。
足が勝手に動くだけですよ。」
そんな彼の言葉を信じて、私は気の向くままに足を踏み出した。
彼に握られた手、一人ではないという感触。
心地よいと感じた。
ずっと身を委ねていたいと、心の底からそう思った。
口角を上げた私は、彼の手をぎゅっと握りしめた。

その後何度もダンスホールに足を運び、その度に彼と踊った。
連絡先を交換して、休日に会ったりするようにもなった。
いつしか敬語は消滅し、タメ口で話すようになった。
「私のこと、好き?」と訊けば、
「世界で一番愛してる」と返ってくるほど、
私達はお互いを愛している。
しかし、神様はそんな幸せそうな私達が憎らしかったのだろうか。
あんなことになるなんて。

同棲し始めてしばらくして、借金取りに追われるようになった。 
「おい、ドア開けろやぁ!」
ドンドンッと玄関を乱暴に叩く音。
「ねえ、どうする?」
私は声を震わせた。
「窓からこっそり出よう。バレないように。」
彼は荷物をまとめ始めた。
「麻里佳、先に逃げろ。」
「えっ、快くんは…」
「後から行く。」
彼には借金があるらしい。
なぜ借金をしているのかは知らないが、彼なりの事情があるのだろう。
私はこっそりとベランダから出て逃げた。
「そこの喫茶店で落ち合おう」

「はぁ、はぁ…お待たせ…」
彼がやってきた。
「借金取りは?」
「きっと今も健気に玄関叩いてるよ。
僕達がどこにいるか知らないよ。」
「あの人も馬鹿だね。」
「でも、絶対おかしいって気づく。
捕まるのも時間の問題だよ。早く逃げなきゃ。」
私達はまた走り出した。
行く先も定まらぬまま。

廃工場の近くまで逃げた。
「ここまで来たら…もう…安全…」
彼は整わない息のまま呟いた。
「きっと、大丈夫だよね?」
「うん、大丈夫」
なんて思っていた。
全然大丈夫では無かった。
「お前ら、見つけたぞ」
「あ゙ぁ?腑抜けた顔しやがって」
「雑魚な見た目してやがる、たっぷりもらうとするか」
見つかった。
「うぅ゙…」
声にならない声を漏らした。
「逃げよう。」
私は彼に手を引っ張られて駆け出した。

廃工場の中。
薄暗がりで怖い。
私は彼のコートをぎゅっと掴んだ。
肌寒い秋の空気が張り詰めて、緊張感を増している。
「どこだぁーっ!」
遠くから借金取り達の声が聞こえる。
「…来るっ。」
「逃げろ」
「えっ」
「麻里佳だけでも逃げろ」
信じられなかった。
だって私は…
「快くんと一緒じゃなきゃ、嫌だ…」
「でも、僕たちは殺される。」
冷えた声で言われた。
「麻里佳は生きろ。」
「…うん。」
私は逃げた。快くんを置いて。
目に涙らしきものが溜まるのを感じたが、そんなのはどうでもよかった。
一方彼は、廃工場の外に出た。

「おい、外にいるぞ!」
借金取り達が一斉に外に出ていくのを、私は物陰からじっと見ていた。
決して見つからないように、息を殺しながら。
何やら言い合いをしているのが見える。
快くん、どうか…
彼はいきなり腕を伸ばした。
手に握られているのは…拳銃。
なんで拳銃があるの?
私は困惑した。
まさか、本物ではないだろうな。
そして拳銃には弾が入っていて、撃ったら

バンッ
…カランッ

私は目を見開いた。
本当に、撃った。
そして、拳銃は本物だった。
赤い何かが見える。
「お、おい、こいつ撃ちやがった。逃げろ!」
借金取り達が次々と逃げていき、外には彼一人と赤い何かが残った。
私は走って外に出た。
激しく雨の音が聴こえる。

「快、くん…」
私は思わず手で口を塞いだ。
倒れた人。
彩度の明るい赤い血が雨で薄まっていく。
「まさか、本物だとは思わないじゃん…」
彼はぎこちない笑顔を私に向けた。
恐怖と不安と絶望に染まった笑顔。
私は震える指に力を入れた。
彼の手を握った。
「一緒に、逃げよう。」
ああ、初めて逢った時もこんな感じだったな。
この手の温もり、
目線、
一人ではない感触。
「逃げよう。」
私達は手を繋いで、雨の中を走った。
走りながら考えた。
私達は何を馬鹿げたことをしているんだろう、って。
だけど、私達はこうするしかないんだって。
踊り方を知らない私は彼に踊り方を教えてもらって、
今では一緒に駆け出している。

酷く冷たい雨なんか気にせず、
ただただ走った。
私達の行く先は不透明。

10/3/2024, 11:15:28 AM

【出会えたら】

東京には有名人がいる。
それを知ったとき、私は「やった!」と思った。
私の高校は、修学旅行で東京に行く。
私は東京で会いたい人がいる。
憧れのミュージシャン。
会えたらいいなぁ、なんて思ったり。

―――――――――――――――――――――

修学旅行から帰る新幹線の中、私は思い出を味わっていた。
結局、憧れの人には会えなかった。
隙あらば探していた。
だけど、全然会えなかった。
しょうがない。
そんな簡単に会える存在では無い。
私は喉に引っ掛けるモヤモヤをお茶で飲み込んだ。

もしいつか出会えたらサインしてもらいたい。
そして、こう言うのだ。
「貴方は、私の憧れです」

10/2/2024, 11:32:19 AM

【約束の季節】

7月になり、世間は夏休み気分を纏い始めた。
テレビでは連日「熱中症に気をつけましょう!」という使い慣らされたフレーズが連呼されている。
プチッ。
テレビの電源を切った。
私は不登校なのであまり外に出ない。
クーラーのよく効いた部屋で過ごしているので、あまり季節を感じない。
ただ、窓から差し込む太陽の強烈な光は、夏の到来を感じさせるような気がする。

夏、かぁ。
5月におばあちゃんと電話をして、東京―オトウサンの生まれ故郷であり、おばあちゃんが住んでいる場所―に行くと約束した。
約束の夏が来たのだ。
にも関わらず、私は未だに東京に行く計画を立てていない。
行きたいのはやまやまだ。
むしろ、この家に居たくない。
先月、お母さんと喧嘩してからというものの、家での居心地が悪いのだ。
お母さんと話をしなくなってしまった。
だから、家に居たくない。
だけど、東京に行くタイミングが掴めないまま、こうしてずるずると予定を引きずっているのだ。
いつ行こうかなぁ。
黒く固まったテレビを眺めながら考えた。

私は、またオトウサンの日記のことを思い出していた。
―――――――――――――――――――――
2010/10/15
病気が進むばかりだ。
「死ぬことに悔いはない」という内容の歌を書いた覚えがあるが、
やっぱりこわい。
最愛の妻、娘、両親に会えなくなること。
もう歌えないかもしれない恐怖。
もし奇跡が起こってくれたら、病気なんか心配しないで、また大切な人と笑って過ごすのだ。
叶ってほしい願いほど叶わないものだな。
辛いなぁ。
―――――――――――――――――――――
オトウサンは強くないと知った。
ただただ、自分の身に降りかかる奇跡を信じて耐えている、人間なのだ。
「先生」という生き物がいると思いがちだが、「先生」は一人の人間である。
それと同じように、オトウサンだって一人の人間なのだ。

しかし。
どれだけ日記の内容を考察しようとしても、今の環境ではオトウサンのことを知るのに不十分だ。
現にお母さんは協力的ではないし、オトウサンは東京で晩年を過ごした。
そして何より、オトウサンのことを一番知っているおばあちゃんはが東京にいる。
東京に行かなければ、全てを知ることは不可能だと思って、だから東京に行く約束をしたのだ。
なのに、私は目を逸らそうとしている。
このままでは、いけない。

そう思っていた矢先、またお母さんと喧嘩することになろうとは、この時の私は思いもしなかった。

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