【21g】
「え、そうだったんだ…」
私達と養護の先生以外誰もいない保健室に、かのんちゃんの声が淋しく響いた。
「ごめんね、今まで隠してて。」
「ううん、こっちこそごめんね。もしかしたら、無神経なこと言っちゃってたかも。」
私達が何の話をしていたかというと、私が隠していた秘密のことだ。
もっと簡単に言うと、オトウサンのこと。
私は小さい頃にオトウサンを亡くしているのだけど、このことを長い間隠していたのだ。
だって、気を遣って欲しくなかったから。
私はこれが理由で、幾度となく他人との隔たりを感じてきた。
「オトウサンのせいだ」とは思っていないけれど、友達が少ない理由として第一に挙げられる。
「えっと…気を遣って欲しくないんだ。
オトウサンがいるとかいないとか、
私はよくわからない。
オトウサンがいる生活がよくわからないから。だから、『寂しがってるんじゃないか』とか、そんなふうに思わなくていいし、
普通に接してほしい。
全然タブーな話題でも無いから。」
「うん、わかった。
今までと同じ。
知らなかったことを知っただけだから。」
こんなふうに、素の自分を見せられる相手が欲しいと思っていた。
小学生時代に友達との距離を感じて、
「あ、もういいや。友達なんて、いらないや」
そう思うようになった。
だけど本当は寂しかった。
だから、友達を作るようにした。
その代わり、「オトウサンがいない」という事実は隠して。
高校でもそうするつもりだった。
最初はできていた。
だけど、やっぱり変わった。
かのんちゃんには、もう言ってもいいんじゃないか、って。
かのんちゃんは優しいから。
ある意味期待していた。
「しかし、やっぱりそうだったんだー」
「え?」
「いや、海愛ちゃんってお母さんの話はするけどお父さんの話はしないじゃん?
だから、何となくそうだと思ってたんだよね」
「うわ、無意識だ。
まあ、オトウサンとの思い出はほとんど無いからね。
物心付く前に死んじゃったし。」
確かに、思い返してみればお母さんのことはよく話している。
家でのこととか、どんな仕事をしているのか。
逆に、オトウサンのことは全く話していない。
「それでね、この前オトウサンの日記見つけたんだ。
大学生の時から、生前までの日記。
結婚秘話とか、私の誕生秘話とか、色々書いてあったんだよね〜」
「え、何それ。気になるじゃん」
「見る?実は1冊だけ持ってきてるんだ」
「え、見たい!」
それから私達は、オトウサンの日記を読みながらあれこれ話した。
久しぶりに、こんなに心の底から楽しめたような気がした。
声が枯れる頃には、赤い西日が保健室に差し込み始めていた。
「今日はありがとうね」
「ううん、こちらこそ」
「また、頑張って保健室来るから。
もっと頑張って、教室入るから。」
「うん。待ってるね」
かのんちゃんに別れを告げ、お母さんの迎えを待った。
日記は鞄の中に入れてある。
お母さんの前で見せたら、何となく嫌な顔をされそうだった。
なぜなのかはわからないけど。
お母さんを待っている間、私は考え事をしていた。
「人の魂は21g」と言われているらしい。
人の魂、か。
きっと、オトウサンの魂もどこかに宿っているのだと、私はそう信じて止まない。
もしそれが、オトウサンが作った曲とか、日記ならばどんなに素敵なことだろうか。
形の無いオトウサンに出会えたならば、どんなに良いことだろうか。
【残像】
車で公園の前を通りかかった。
大きくは無いが、子どもたちが不自由なく走り回れるくらいの公園。
子どもたちの声がキャッキャッと響いている。
「……」
ジャングルジムを楽しそうに登っている子を見つけたとき、僕の脳裏にはあの日の記憶が流れていた。
小学3年生の時のことだ。
同級生が死んだ。
ジャングルジムからの落下による死だった。
あの日、僕はその子と一緒に遊んでいた。
まだそこまで親しいわけではなくて、ぎこちないおしゃべりをしたり、遊具で遊んだりしていた。
それで、ジャングルジムで一緒に競争したのだ。
どちらが速く頂上に辿り着けるか。
僕がリードしていた。
「ねー、たっくん速いよー」
下から声が聞こえて、僕はあの子を見下ろした。
ぎこちなく僕を呼ぶあの子の顔。
笑っていた。
負けじと上に登って、手をかけようとしたときだった。
「あっ、」
あの子は手を滑らせて、そのまま落ちた。
しばらく動かなかった。
あのとき汗はよく覚えている。
だらあっとうざったらしい汗が頬を伝った。
頭は真っ白に冷えてしまって、
何も考えられなかった。
子どもたちははしゃぎまわっている。
いいなあ。
僕は、あの時から公園に通うのを辞めた。
トラウマになっててしまったからだ。
どうしても足が公園に向かなかった。
「やったー!私が一位!」
ジャングルジムの頂上にある星を女の子がタッチした。
その時、僕はまた思い出した。
救急車と警察が来た。
僕は事情聴取を受けた。
どんなふうに女の子が落ちたか。
当時の公園には防犯カメラがついていなくて、他に遊んでいる子もいなかった。
完全に僕とあの子しかいなかったので、僕しか事情を知らなかったのだ。
「手を滑らせて、落ちました。」
僕はこう答えた。
嘘はついていない。
嘘は、ついていない。
「(僕がこの子の手を蹴ったら)手を滑らせて、落ちました。」
でも、隠していることはある。
結局、この件は事故死ということになり、公園の遊具は全て撤去されることになった。
でも、これは事故じゃない。
あの子は、事故死ではない。
僕が殺した。
僕はあの子が嫌いたった。
いつもテストで100点を取っていて、自慢してくるのだ。
うざかった。
憎かった。
だから、あの時とっさにあの子の手を蹴った。
そしたら、落ちてそのまま動かなかった。
それだけだ。
僕は、嘘はついていない。
誰も真実は知らない。
僕はあの記憶を反芻していた。
彼女が落ちるときのスローモーション。
そこに映り込む僕の青いスニーカー。
君の残像。
【晩夏】
茹だるような暑さが抜け始めた秋の日。
私は好きな人と2人で土手沿いの道を歩いている。
まだポロシャツと片手に握ったアイスが似合う季節。
太陽の眩しさを鬱陶しがっても許される季節。
2人であれこれ話しながら帰る道はとても楽しい。
今日あった出来事を話していると、
不意にセミの鳴き声が止んだ。
ああ、夏が終わるな。
直感的に感じた。
ひと夏の恋はもうすぐ終わり、やがて色を濃くして秋恋が始まる。
けれど、やっぱり寂しい。
分かれ道。
「じゃあね」と手を振って、私達は別れた。
名残惜しくて彼の背中を見た。
ああ、夏よ終わるな。
【時間よ止まれ!】
時間を止める能力。
僕が有している能力だ。
時間を自由に止めたり、再生することができる。
昔はその能力が如何に便利なのか気づかなかったが、成長するにつれ能力の万能さに気づいた。
数学のテスト中。
巡回する先生の足音、忙しなく動く鉛筆のカツッとした音が聞こえる。
僕はある問題で鉛筆が止まった。
「△ABCと△BDRの面積比を求めよ。」
僕が苦手とする問題だ。
うーん…
考えたけど分からない。
他の問題の答え合わせも兼ねて、時間を止めてカンニングしようではないか。
僕は指を鳴らした。
パチン。
その途端、先生の足音や鉛筆の音が聞こえなくなり、静寂に包まれた。
この状態なら、何をしても良い。
例えカンニングしても、誰かを殴っても。
何かを盗んだっていい。
あと、先生の顔に落書きしてもいい。
僕はクラスで2番目に賢い奴のもとへ行き、
回答用紙を拝借した。
しばらくして全ての問題を確認し終え、
回答用紙を元の場所にそっと戻した。
用が済んだので、時間を再生しよう。
と、思ったのだけれど。
なんだかテストに飽きてしまったので、
もう少しだけこのままでいよう。
僕は教室を出た。
他のクラスも皆必死の表情を浮かべ机に向かっている。
歩いているのは僕だけ。
この優越感、堪らない。
僕は運動場に出た。
ますます優越感を感じる。
みんなはテストに苦しんだまま、
自分は圧倒的な解放感を感じている。
ああ、自由だなぁ。
僕は近くのベンチに腰掛け、天を仰いだ。
そして目を閉じて、ただ風が当たる心地よさを感じていた。
感じていたのだけれど…
「!!!」
急いで跳ね起きた。
時計には7:30と表示されている。
夢、かよ…
【狐の嫁入り】
幼い頃の話である。
車に乗って英会話教室に向かっている途中だった。
晴れた空から、いきなりポツッと雨粒がフロントガラスに落ちてきたのだ。
晴れてるのに雨?
私はとても不思議で堪らなかった。
すると母は、
「狐の嫁入りだ」と言った。
「狐の嫁入り?」
「うん。狐さんがね、結婚式で喜んで泣いているんだよ」
私は「へえ〜!これは狐さんの嬉し涙なんだ!」と感動したのを覚えている。
母の言う「狐の嫁入り」が本当に正しいのかは分からないが、
今でも天気雨が降るたびに「嬉し涙だ!」と思う私が居るのだ。
しかし、同時にこう思ったりもする。
天気雨が嬉し涙ならば、
酸性雨は「これ以上苦しめないで」という、SOSなのだろうか。