【負の蓄積】
私は、高校1年生になった。
突然ギターを弾き始めて約3年。
「Fコードが弾けない!」と嘆いていた私も、今では綺麗なFコードで曲を奏でられるようになった。
3年間、色々あったなぁ。
音楽の授業でギターを習ったとき、クラスメイトから凄く褒められた。
嬉しかったなぁ。
思い出を振り返るとキリがない。
そんな私は、県内有数の進学校に入学した。
駅前の学校なので、通学は電車で30分以上もかけなければならないが、慣れてくると案外楽しいものだ。
人間関係が不安だったが、クラスメイトも先生も皆優しくて、とてもほっとした。
親友も出来た。
三島かのんちゃんという子だ。
かのんちゃんとは席が近く、休み時間を一緒に過ごすことが多くなった。
昼ご飯も一緒に食べる仲だ。
一方、部活は軽音楽部に入った。
理由は単純。ギターを弾きたいからだ。
そして驚くべきことに、私はギターボーカルなのだ。
私って正直引っ込み思案だし、人と関わるのは苦手だ。
だけど、このままじゃだめだと思って、勇気を出してみた。
結果的に私は4人組ガールズバンドのギターボーカルになってしまった、というわけだ。
何だか、ワクワクする!
そのようにして順調に走り出した新生活は、
次第に雲行きの怪しい音を立て始めた。
最初の陰りは、班活動だった。
私の高校では班活動が多く、主体的に授業を進めるスタイルだ。
そこで、私は自分のスペックの低さを実感させられた。
皆、リーダー性がある。
その上、勉強もできる。
班内で「ここの問題分からなーい」という声が挙がれば、1秒後には誰かが解法を分かりやすく説明し始める。
私はどうやら「役立たず」らしい。
私なんかいなくても、クラスが成立するということに気づき始めた。
勉強も難しくなった。
中学生の時はテストで80点以上をとっていて、100点を2回取ったことがあった。
だからこそ慢心していた。
高校の勉強の難しさと授業のスピードの速さ、それらに加えて皆のスペックの高さによって、私は完全に勉強する気力を無くした。
部活も上手くいかなかった。
軽音楽部での練習は月2回。
最初は「どんなバンドになるんだろう!」という期待が大きかったが、
そんな簡単に行くわけなかった。
メンバーが全く集まらない。
皆、兼部しているとか勉強が忙しいとかスケジュールを把握していなかったとか言って、部活に来てくれない。
誰だって一度や二度はあるかもしれない。
しかし、毎週のようにそんなLINEが送られてきて、だんだん腹が立っていった。
そして、この間―月日が経って10月の始めだった―にあるメンバーからLINEが送られてきた。
「脱退します」
は?と思った。
散々迷惑かけて、いきなり脱退?
何それ。
しかもそれ以降、その子とは連絡が取れなくなった。
脱退の理由さえ教えてくれなかった。
その他のメンバーに関しても、1ヶ月後には全員脱退した。
私が悪かったのかな?とも思った。
けれど、さすがに酷いと思った。
何度も心の中でメンバーを責めては、そんな自分に腹が立つこともあった。
追い打ちをかけるように、悲しいことが起こった。
近所の楽器屋が閉店した。
ある日、お店の入口に貼り紙が貼られているのを見た。
「この度、中村楽器店は誠に勝手ながら閉店致します。
長きに渡りご愛顧いただきまして誠にありがとうございました。」
噂によると店主の奥さんが亡くなったらしいのだ。
癌だった。
2年前からお店を閉めていて、ずっと心配だったけれど、まさかこうなるとは。
この頃には私の精神はボロボロで、今にも擦り切れそうだった。
やがて学校にも馴染めなくなって、かのんちゃんに心配されることが多くなった。
「大丈夫?元気ないよ。」
その度に私は、
「ごめん、寝不足なだけ!」
などと誤魔化していた。
しかし、誤魔化すことも無理になって、
とうとう12月から、不登校になってしまっ。
かのんちゃんはとても優しかった。
「大丈夫?無理しないでね」
かわいいスタンプと共に送られたそのメッセージは、まるで偽善だとは思えなかった。
しかし、私はそこに既読をつけられなかった。
かのんちゃんの優しさはちゃんと分かってるけど、それを受け止めきれるほどの余裕が無かった。
開けないLINEに溜息をついた。
もう、ほっといてほしい。
【香水達の喧嘩】
給食の後の5時間目、教室は異様な匂いに包まれていた。
一言でいうと、臭い。
気持ち悪い。
なぜならば、今日は参観日だ。
参観日ということは、親が来る。
母親とは不思議で 、これでもかというほど香水を着けたがる。
すると、教室は一気に香水臭くなってしまうのだ。
少しだけふわっと香るなら良いものの、
異なる匂いが混じり合えば喧嘩してキツイ臭いを放ってしまうのだ。
そして今日は、香水達の喧嘩が酷く激しかった。
「教室、臭くね?」
僕は、隣に座っている友達にこっそり言った。
「だよな、気持ち悪い」
やっぱりそうだ、間違いない。
香水達が喧嘩している。
僕はちらっと後ろを向いた。
母親達はヒソヒソと話し、笑っている。
きっと、本人達は自らの香水が放つ異臭に気がついていない。
幸いにも窓側の席なので、外から入り込む風が喧嘩を仲裁してくれている。
しかし、隣に座る友達は辛そうだ。
「大丈夫か?」
本当に心配になって、思わず声をかけた。
「うん、大丈夫。全然大丈夫だよ」
いや、全然大丈夫ではなさそうだ。
授業はあと30分。
このままでは、早ければ5分後にも彼のライフが0になってしまいそうだ。
どうしよう。
保健室に連れて行くべきだよな。
しかし、1つ問題があった。
保健室に行くならば、教室の後ろのドアから出なければならない。
これは担任が作ったルールなのだが、授業中に廊下に出るときは、後ろから出ることになっている。
前から出ると、黒板が見えづらくなって邪魔になるらしいのだ。
後ろを通るということは、母親達の前を通らなければならないということだ。
こんなの、自ら殴られに行くようなものではないか。
僕は隣を見た。
友達は顔を真っ青にして俯いている。
いよいよヤバいことになってきたな。
もう保健室に連れて行くしかない!
「先生!」
僕はピンと手を伸ばし、先生を呼んだ。
「どうした?」
「橋本さんが具合悪そうです!保健室に連れて行ってもいいですか?」
「橋本、大丈夫か?菅田、付き添ってあげてくれ。あ、橋本さんのお母さんもお願いします」
僕達は席を立った。
友達を支えて前から出ることにした。
絶対に先生から何か言われるだろうけど、もうそんなの知らない。
「良樹!大丈夫?」
友達のお母さんが駆け寄ってきた。
しかし友達は
「ちょっ…と、近づか、ないで…」
と、突っぱねてしまった。
「おい、後ろから出ろよー」
先生が言った。
しかし、僕達は無視して前から出た。
先生の前を通ったとき、友達が呟いた言葉が忘れられない。
「香水、気持ち悪っ…」
友達を保健室に連れて行った。
今日の保健室は人が多かった。
「良樹に付き添ってくれてありがとうね。もう戻っても大丈夫だよ」
本当はもう少しここにいたかったけど、早く戻らないと先生に怒られるだろう。
僕は教室に戻ることにした。
でも、本当は戻りたくない。
あの教室にいたくない。
授業は残り20分。
サボるのは難しそうだ。
せめてもの抵抗として、ゆっくりと廊下を歩いた。
外から流れ込む風がやけに心地よい。
無臭の風が、僕を撫でてくれるようだ。
教室に戻ると、またキツイ臭いを放つ香水に殴られた。
僕は香水に殴られつつも耐え、無事に参観日を終えることができた。
帰りに保健室に寄った。
友達の顔色はかなり良くなっていた。
安心した。
帰り道、お母さんに褒められた。
「すごいじゃん、友達を保健室に連れて行くなんて。
良い子だねぇ〜」
そういうお母さんも、香水の臭いがキツかった。
しばらくして、学校からあるプリントが配られた。
参観日に関するプリントだ。
そこにはこう書かれていた。
「香料による体調不良が増えていますので、参観日に香水をつける際は適量の使用に留めていただけると幸いです。」
【私だけの部屋】
大切な人がふらっと現れることを願っている。
あの人、もう遠い過去の中にいる人物。
チャイムが鳴って、玄関を開けると貴方がいる。
そんな妄想だけが頭を覆う。
もちろん、私は一人だ。
私だけの部屋で、今日も誰かを待っている。
【鳥曇り】
私は駅前に着くと、不意に空を見上げた。
灰色の重い雲が一面を覆い尽くしていた。
鳥曇り。
この前覚えた言葉が頭に浮かんだ。
春の季語らしいので、12月の空にはそぐわない表現だが、
どこか寂しくて褪せたイメージは鳥曇りという言葉で表現するのに十分に思えた。
私の町―田舎の港町は都市に行くには少し遠い場所にあるので、電車で30分以上もかかってしまった。
私の目的は、楽器屋に訪れることだ。
私の町にも、海沿いに古びた楽器屋はあるのだが、店主さん曰く
「実は妻が体調を崩しましてねぇ…、しばらくの間店を閉めようと思うんです。
早ければ春頃には再開できるんですけどね…」
と、いうことだそうだ。
ギターの弦の入手先が無くなって途方に暮れていた私に、お母さんは
「駅前にも楽器屋さんあると思うよ。
ショッピングモールの中にあったような…」
と教えてくれた。
そういうわけで、私は30分以上もかけてここに来たのだ。
ショッピングモールはここから3分のところにある。
道中、店主の奥さんのことを考えていた。
あのお店は夫婦で切り盛りしていると聞いた。
お客さんは少ないけど、とてもアットホームで、居心地の良さを感じる場だ。
店主は寡黙だけど、喋る時は喋る人だ。
楽器の知識が豊富で、私にもいろんなことを教えてくれた。
「ギターにはいろんな種類の指板があって、それぞれ特徴があるんだよ。
例えばメイプルは明るくてキレが良い。
ローズウッドはメイプルよりも暗く落ち着きがある。
その他にもいろんな種類があって、自分が演奏したい曲に合わせて変えると雰囲気が出て良いんだよ。」
店主の奥さんはお喋りで、いつも話しかけてくれる。
ピアノが弾けるらしく 、一回だけ聴かせてもらったことがある。
とても温かくて、元気があって、上手く言語化できないけど、「好きだ!」と思った。
それを話すと、ケラケラと笑って「その言葉を待ってたんだよ!嬉しいねぇ」と言ってくれた。
素敵な人だった。
大丈夫かな。
体調が悪いってことは、怪我とかじゃなくて病気かもしれないってこと?
もし深刻な病気だったら、嫌だな。
店主さんも、絶対落ち込んでるよね…
きっと、オトウサンが病気だった時も、オトウサンは絶対に苦しい思いをしていただろうし、お母さんだって辛かったはずだ。
私には誰の気持ちも全て知ることはできないけど、
でも、そんな思いを他の人に味わってほしくない。
指が刺さりそうになるくらい、拳を握りしめた。
ショッピングモール内の楽器屋は綺麗だった。
店内は明るいし、お客さんも多い。
ただ、そこには「商業」「ビジネス」という文字が見え透いていて、アットホームな空間とは言えなかった。
弦と数枚のピックを買って、外に出た。
本当はもっとお買い物したかったし、ゲームセンターも行きたかったけど、出費が惜しい。
外に出ると、冷たい風が頬を殴った。
最近、やけに寒い。
12月だからか、それとも?
鼻の上に、冷たさを感じた。
「あ、雪降ってきた―!」
誰かがそう言って、私は空を見上げた。
鳥曇りの空から、雪がちらちらと舞い降りてきた。
オトウサンは、こんな風景の中でも温かいものを信じて曲を作っていたのだろうか。
私は駅に向かって歩いた。
次は、クリスマスイルミ観たいな。
【鏡】
悩みとは、鏡に似ている。
あることについて悩んで、悩んで、考え込んで、
その過程が増えるごとに鏡が1つ、また1つと置かれる。
そうして360度を鏡に囲まれたとき、
自分しか見られなくなるのだ。
周りに助けを求めることができず、
「信じられるのは自分だけ」と思い込んでしまう。
解決法は、鏡を誰かが割ること。
さて、私の鏡を割るのは誰だろうか。