「好きだよーーーっ!!!」
「うるさい」
好きだよーーーっ、だよー、よー、よー……。
「山びこもうるさい」
【宇宙を貫くbig love!】
名前も知らぬ山の頂上。辺りに僕ら以外誰もいないからって、この声量はいかがなものだろうか。
「好きだよーーーっ!!! 富士山くらいでっかく、大好きーーー!!!」
日本の最高峰、標高3776mの頂を、君は自分の愛の表現として易々と持ち出した。富士山、富士山、富士山、大好きー、大好きー、大好きー……と眩暈がするような言葉が山から山へ軽やかに飛び移っていく。
「山の上にいながら別の山を例えに出すのってどうなの」
「あっそうか、『誰よその女!』ってなっちゃうか」
「女かどうかは知らんけど」
目の前に見える名も知らぬ山岳に思いの丈をぶつけて満足したのか、君は僕の方を向いてにっと笑った。
「君は?」
「え?」
「君は私のこと、好き?」
「……嫌いだったら、こんなところまで来てない」
目を逸らしつつ、どうにか答える。僕なりの精一杯、のつもりだったけれど、君はさらに問いを重ねてきた。
「どれくらい? どれくらい私のこと好き?」
「え? う、うーん……」
「北岳くらい?」
「いきなり日本のNo.2が出てきた」
「いーじゃん、日本のワンツーカップルになろうよぉ」
「ワンツーにもカップルにもなる予定はないけど」
さっきから、富士山だの北岳だの、今僕らが踏みしめている大地がへそを曲げたりしないだろうか。
「……オリンポス山」
少し間を置いて、僕は答える。
「何それ? 日本の山じゃないよね?」
「うん」
「世界で一番高い山! ……はエベレストだし、二番目はK2、三番目はカンチェンジュンガ……」
「結構博識だよね、君。っていうか、真っ先に世界一を疑うんだ」
「私が知らないだけで有名な山なの? どっかの観光地とか?」
「登山客が多いって話は聞かないかな」
「えぇー」
君はあからさまに唇を尖らせた。さすがに怒らせてしまっただろうか。
「一応、山ではあるんだから許してよ」
「いーえ許しません」
「そこをなんとか」
「ダメ。ちゃんとあの山に向かって叫ばないと」
「あ、そっち?」
「せっかく山の頂上まで来たのに、叫ばないで帰るなんて犯罪だよ!」
「さっきの君の大声の方が犯罪的だったけどね」
「ほら、いいから叫んで!」
全く気は進まなかったが、そうしないと下山させてもらえなそうな空気だ。仕方なく、僕は小さく息を吸う。
「僕は君のことが、オリンポス山くらい、好き……」
「ちょっと、声が小さいよ。そんなんじゃ返してもらえないよ、山びこ」
「いらない」
「ええ」
「山びこなんて返ってこなくてもいい。僕がさっさと家に帰れさえすれば」
「もー……」
頬を膨らませる君を見ながら、思う。返ってこなくたっていいのだ、僕の思いは。能天気そうな雰囲気と裏腹に博識な君なら、もしかしたら知っているかも……なんて、別に期待していたわけではないのだ。
「この人こんなこと言ってますけど、どう思いますかー!!」
「うるさい」
思いますかー、ますかー、すかー……。
「山びこもうるさい」
太陽系の最高峰、標高21229mの頂を思った。
「私の言葉を、一つも聞き逃さないでね」
それが、欲のない君が僕にした、ただ一つのお願いだった。
【氷色のささやき】
君は、一度空気と混ざったら分離できなくなりそうな、透明な声で喋る人だった。
「じゃあ、もっと大きな声で喋ってよ」
僕が言うべきはそんなことではなかったと、あの時気づくべきだったのだ。授業中や同姓の友達と話すとき、君はもっと芯の通った声ではっきり喋ると知っていたのに。君があんなささやき声を届ける相手は、僕だけだって知っていたのに。
もう、どんなに耳を澄ませても、君の声なんて聞こえやしない。氷の溶けきった水を飲み干す。味なんてしない。
絶対に聞き逃さないように、君の透明なささやきが空気なんかに奪われる前に拾えるように、ちゃんと君のすぐ隣にいなきゃ駄目だったんだ。
「……本当に今さらだ。馬鹿だなあ」
氷水で冷えた胃から空気を吐き出すみたいに、ささやく。君が、僕が何かささやいていることに気づいて、駆け寄ってきてくれたらいいのに。
情緒がないと思われるかもしれないが、星を綺麗だなんて思ったことがない。
【星明かりに沈む】
真っ暗な夜を高潔に照らす……なんて言ったって、何光年、下手したら何十、何百光年も離れた座標から放たれるそれはあまりに頼りなくて、そんなものより今手元にある100均のランタンの方が全然明るい。
――あれがしし座。で、あの一番明るいのがレグルスね。
馬鹿な人だ。僕がそんな話をちゃんと聞くような人間じゃないって、わかってたくせに。君が隣にいなかったら、教えてもらった星座の座標も見失う僕なのに。もう、君の言ったしし座がどんな形をしていたのかも覚えていない。しし座で一番明るいレグルスは、獅子の体のどの部分にあったっけ。
辛うじて、あれが春の星座だと話していたことは覚えている。だから春になる度にこうして夜中に外に出て、ずっと探している。けれど、見つからない。だから星って好きじゃないんだ。ごちゃごちゃと散らかって、本当に見つけたいものが埋もれてしまう。
こんなことなら、君の話をちゃんと聞いておけばよかった。「なんで僕にそんな話をするんだ」なんて下らない憎まれ口をきいていないで、ちゃんと。
彼女が指差した先をろくに見もせずに、よくわかっていなかったくせに、それを知られるのが嫌だった。わからないことをわからないと言える僕だったら、今でも君の隣にいたかな。
そういえば、「なんて僕にそんな話をするんだ」に対する彼女の答えも、よく理解できないまま流してしまったな。そっちも聞いておけばよかった。
――だって、春は毎年来るじゃない。