明日、もし晴れたら
“絶対早起きして、行きたかったお店でモーニングしよ”
“ちょっと足をのばして、行ったことのない町を歩こう”
と、想像しながら眠りにつくのが好き。
そして、翌日の晴れた朝。
何処にも行かずに、ぐーたらする私。結局いつも通りが始まり終わってゆく。
推しが来て、「おはよう」と囁いてくれたら、一発で起きるの確定なんですけどね。
イタいおばさんのイタい妄想でした。
end
だから、一人でいたい
昨日の私の投稿ですが、自分でも尖ってるな、と。ちょっとダメだなぁ、と。私なりに反省をしております。
随分と端折ってしまったから、伝えたいことの半分も書けていない。
情緒は欠けているのに。
“すぐ泣く人が嫌い”をも少し説明させてもらうと、既述のように「泣いてる私を見て」って聞こえてしまうってことと、もう一つ。
その人の周りにいて、「大丈夫?何があったの?」と声をかけないと、こちらが悪い奴になってしまう可能性がある。
ひどい場合、一緒に泣いていなかったら「あいつは冷たい女だから」と言われるかもしれないのです。
冗談はよしとくれ、です。
泣ける場所があって、それをうんうんと聞いてくれる人がいて、励ましてもらい、最終的にそこに強い絆ってやつが生まれる。
泣きたくても泣けない、堪える癖がついてしまった私にしてみれば、大勢の前でおいおい泣ける人が羨ましいです。
私も泣ける女になろうかな。
そうしたらこの人生、少しは上向きになるでしょうか?
ならないでしょうね。
泣いて、ちやほやされようものなら,「ふふ、上手くいったわ。今度は何を理由に泣いてやろうかしら」などと、邪な思いが湧いてくるのが目に浮かぶから。
だから、一人でいたいと言うより、一人が正解なのだと思ってます。
どこまでもヴィランend
澄んだ瞳
今日はトゲトゲしてます。
ご注意を笑
すぐ泣く人が嫌いです。
「この子は昔からすぐ泣くのよ、心優しいから」
「か弱いから守ってあげなきゃ」
ほんとですか?
泣けない、泣かない女は可愛げがない。
そう思いますか?
私は、誰かの前で泣く人を信用していません。当然、身内の不幸があった時などは別ですが。
何かあったらすぐ泣く人は「見て見て、私泣いてるのよ、悲しんでる私を見て。可哀想でしょ。」と心の声が聞こえてしまうのです。
久しぶりに見た甲子園。
勝った選手も負けた選手も泣いてました。
彼らの澄んだ瞳から流れる涙が眩しく映りました。
そんな涙を一生に一度の青春時代に、仲間と共に流せることがとても眩しくそして羨ましいと思ったりして。
そのような経験もなく、気づけば1人で泣くのに慣れてしまった私。この濁った瞳から、そんな美しい涙はこの先もずっと流れることはないでしょうから。
end
嵐が来ようとも
海沿いをドライブするのが好きです。冬の間は当然ですが誰もいない。
今は、お洒落なマリンスポーツを楽しむ人々など、実に大勢がいらっしゃる。
水上スキーやオートバイ、パラセーリングとか、こーゆーのって、「一生に一度くらいはやってみたいな」と言いながら今世を終えてしまうんでしょうね、私の場合。
それにしてもですよ。
ほんっと暑すぎますよ。
炎暑猛暑いいますが、私としては“狂暑”と名付けたい。
窓を開ければ熱風、外に出れば容赦ない日差しと紫外線。
そして、まだ8月が来ていないと言う事実。
この温度が下がるのなら、突然の嵐が来ようとも、喜んで全身で受け入れられそう。
出来れば、被害が出ないくらいのちょーどいい感じの雨風がいいんですけどぉ。
この歳の女が小文字を使ったら少し寒くなるのがわかりました。
いかがですか?
end
お祭り
より、“お参り”です。
私が神社に行くのって。
それも、気まぐれにです。
それでも“憑き物が落ちる”は言い過ぎかもしれないけれど、“気が上がる”感じがします。
あ、お題を見てひとつ思い出したことがありました。
それは水風船のヨーヨー。
ちょっと長いゴムの先に小さな輪があって、そこに中指を通し、水風船をやんわり叩く。
すると、ちゃんと手に戻ってくる。柔らかくて少しひんやりした感触。この歳になってもまだ覚えてます。
始めはやんわり叩いてたのが、慣れてきたら、一点集中でばいんばいんしてしまうのがお決まり。
最後、しぼんでしまうまで遊んだものでした。
話は変わりますが、
私は”お祭り騒ぎ”が苦手です。お酒が入って思いきり騒げる人達を羨ましいとは思うのですが。
明るくてギラギラした数日間もいいけれど、それが終わった後の静けさとか、何事もなかったかのように、いつもの日常に戻る感じが好きなのです。
end