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8/3/2024, 3:17:45 PM

 俺は凄腕の霊媒師。
 悪霊を払祓い続けて20年。
 祓えなかった悪霊は存在しない。

 そんな俺に舞い込む依頼はどれも危険な物ばかり。
 どんな悪霊でも祓えるので、他の霊媒師が匙を投げた案件が俺に回ってくる。
 だが危険な分、報酬も多いため文句はない。

 今日も『ヤバい』案件を受け、とある病院を訪れる。
 この病院のとある病室に、とんでもない悪霊が出ると言うのだ。
 他の霊媒師が何人も挑んだが、全員が悪霊を前に逃げ帰ったそうだ。
 どんな悪霊か楽しみである。
 そして俺は、悪霊の出る病室の前まで案内されたのだが……

「これは……」
 俺は目の前の光景に絶句する。
 この病室には多くの数の悪霊がいた。
 霊媒師をして長くなるが、今まで見たことないくらい多い。
 確かにこの数では、並みの霊媒師では歯が立つまい。
 『とんでもないのは数の方かよ』と脳内で愚痴を言う。

 だが、多すぎないか?
 というか多すぎて詰まっているぞ。
 みっちりと、隙間なく……
 ここまで来ると、詰まりすぎてキモイ。

 おそらくこの悪霊たちは、霊道や鬼門、風水などの関係で、この病室にやってきたのだ。
 そしてこの場に集まり、どんどん集まり、そして集まりすぎて、詰まる事になったのだ。
 普通は、こんなことになる前にこの場を離れるはずだが、惹きつける力が強いのだろう。
 逃げる事も出来ず、たた悪霊が増えるばかりで減ることが無かったのだろう。

 よくよく冷静に見れば、悪霊たちは詰まりすぎて身動きが取れてないようだった。
 ここまで集まると、悪霊でも動けなくなるのか……
 勉強になったな。

『憎い憎い憎い』『なんでこんな目に』『狭いよぉ』『臭え』
 だが、そんな状態でも悪霊たちは、悪霊らしく怨嗟の言葉を吐き、邪気をまき散らしていた。
 主に他の悪霊たちに対して。

 だがその邪気も、まき散らしてすぐ、病室に引き寄せられている。
 そして邪気によって逆に悪霊たちが苦しみ、さらなる邪気をまき散らし、その邪気によって悪霊が苦しむ。
 酷い光景だった。
 あまりの光景に、さすがの俺も涙を禁じ得ない

 だが唐突に、悪霊たちの怨嗟の言葉が止まる。
 霊媒師である俺に気づいたのだ。
 悪霊にとって、霊媒師は自分たちを滅ぼす敵。
 こういった場合、悪霊たちは霊媒師に襲い掛かるのだが……

『助けろ助けろ助けろ』『解放してくれ』『助けてぇ』『ここ臭いよぉ』
 悪霊が自分に助けを求めてきた。
 霊媒師を続けて長いが、こんな切羽詰まった悪霊を見るのは初めてだ。
 今まで、悪霊は害虫くらいにしか思ってなかったが、ここまでくると憐れになる。
 俺は悪霊が嫌いのなので、普段は苦しませるように祓うのでだが、同情心から苦しませないように祓うことにした。

 数こそ多かったものの、とくに強力な悪霊もおらず、しかも協力的なこともあって、これまでにないくらいスムーズに除霊を行う。
 おそろしく時間がかかったため、その間に新しい悪霊が来たりもしたが、それ以外には問題なかった。

 そして、なんとかすべての悪霊を祓いきる。
 どっと疲れた。
 肉体的というか、精神的に。

 祓った悪霊からは『感謝感謝感謝』『恩に着る』『ありがとうぉ』『臭いから解放された』と感謝された。
 悪霊から謝されるのは初めてだ。
 今日は初めて尽くしの日である。


「先生、どうですか?」
 見計らったかのように病院の院長がやってきた。
「院長さんか。
 この病室の悪霊は全て祓った。
 また集まらないように、結界も張ったのでご安心くれ」
「ありがとうございます。
 来客室にお菓子を用意しています。
 そちらでゆっくりしてください」
「悪いが、その前に寝かせてくれ。
 数が多くて疲れた」
「構いませんが……
 仮眠室は使っているので、他の病室しかありませんよ」
「構わない。
 広い部屋で頼む。
 でないと、あの隙間の無い光景を思い出しそうだ」
 

8/3/2024, 1:13:39 AM

  20XX年、人類は――おや、地球上の生命は、未曽有の危機に晒されていた。
 地球全土に全く雨が降らなくなったのである。
 明日、晴れたら前回から数えて1000日目。

 そこまで雨が降らなければ、慢性的に水不足。
 雨ごいや、科学的見地から雨を降らせようとするも効果なし。
 このまま人類は滅亡するかと思いきや、しぶとく命を繋いでいた。
 理由は、科学技術の進歩。

 海水から真水を生成したり、空気中から抽出したり、地下深くから水を汲み上げたり……
 近頃さらに科学技術が進歩し、以前より真水を大量に作れるようになった。
 いよいよ滅亡から遠ざかる。

 最初の頃こそ、終末的な思想で治安こそ悪化したが、今では楽観的なムードが流れていた。
 どうせ、なるようにしかならないと、気楽に構え始めたのだ。

 かく言う俺も、他の人間と同じように気楽に生きている。
 足掻いたところで、何も変わらない。
 どうせ、なるようにしかならないからだ。

 そして今日も車に乗って、生活必需品を買いに近くの商店街まで向かう。
 買い物を済ませ、さあ帰ろうと言うところで、福引の会場が目に入る
 運が悪いと言う自覚があるので、いつも福引はスルーするのだが、虫の知らせというのか、ちょっとだけしてもいい気分だった。
 買い物のレシートを見せ、ガラガラと一回だけ福引をまわす。

「おおあたりー!
 特賞、おめでとうございます!」
 まさかの大当たりだ!
 俺は人生初の快挙に浮足立つ。
 が、はしゃぐのも少しの間だけ。
 俺は特賞の商品を見てがっかりする。

「1賞は、真水200L!
 おめでとうございます」
 水200L、ちょうど風呂が入れるくらいの水の量。
 これでゆっくり風呂に入れと言う事だろう。
 入浴剤もついている。
 至れり尽くせり。
 だがそんな気遣いに対し、俺は全く嬉しくなかった。

 たしかに人類全体で水が不足している。
 けれど、俺個人に至っては余っている。
 これ以上はいらないのだ。

 水は公的機関から支給される。
 その際、二、三日に一度は風呂に入れるように多めにくれる。
 だが俺はシャワー派なので、多くの水を使う事もなく、水を余らせてしまうのだ

 近所の人に分けたりするのだが、ご近所さんはシャワー派が多く、水は減る気配がない。
 そこに来て福引の水200Lである。
 いらない。
 本当にいらない。
 どうせなら2等のテレビが欲しかったよ。

 『水が欲しいと言う人がいれば上げるのに』と思いながら、周囲を見渡す。
 だが今回に限っていえば、誰も欲しがりそうな人はいなかった。
 俺と同じでシャワー派なのだろうか?
 かといって押し付けるのも何か違うし、捨てるのも勿体ない。
 俺は仕方なく、持って帰ることにした。

 だが水200Lはおよそ重さ200㎏。
 福引のスタッフと一緒に運んだが、結構な重労働だった。
 終わったころには汗びっしょり。
 なんて日だ!

 車を運転しながら、水の使い道を考えていると、あることを思いついた。
 そう言えば、車をしばらく洗ってないから洗車もいいなと。
 明日、晴れたら1000日目なので、車を洗ってないのも1000日以上前だ。
 せっかくなので自分の愛車に、シャワーをすることにしよう。
 どうせ水が余っているのだ。
 ここで、パーッと使うのがいい

 俺は家の中から、洗車グッズを取り出し、洗車を始める。
 1000日ぶりの洗車だ。
 以前は洗車なんて面倒なだけと思っていたが、これがなかなか楽しい!
 こんなことなら、もっと早くすればよかった。
 そうすれば水の使い道に悩まずに済んだのに。
 俺はご機嫌に車に水をぶっかけ、そして拭きあげる。

 一時間後、そこにはピカピカに磨き上げられた綺麗な車が!
 汚れすぎてグレーぽかった車も、今では真っ白!
 ピカピカって素晴らしい。
 水はまだまだある。
 これからも積極的に洗って――

「マジかよ」
 いきなり空が暗くなり、雨粒がぽつぽつと落ちてくる。
 次第に雨は強くなっていき、すぐに土砂降りになる。
 『せっかく洗車したのについてない』という怒りと、『久しぶりの雨!?』と喜びが、俺の心にせめぎ合う。
 喜ぶべきか、怒るべきか。

 それにしても、なんでこのタイミングで雨なんか降るんだ。
 せっかく車を洗ったと言うのに、雨が降るとせっかくピカピカにしたのが台無しだ。

 ……待てよ。
 そう言えば、車を洗う時に限って雨になるというジンクスを聞いたことがある。
 信じてなかったが、本当に降るとは。
 それにしても最悪のタイミングで降るものだ。
 せめてもう少し後なら、ピカピカの車でドライブに行くことが出来たのに……
 本当に運が悪い。

 なんにせよ、この雨によって、人類は再び息を吹き返すだろう。
 文字通り、恵みの雨。
 もっとも俺にとっては、災難な雨だが……

 人類の未来はどうなるか分からない。
 この雨だけじゃ何も生活は変わらないかも知れないし、これを期にこれからもっと雨が降るかもしれない。
 何一つ見通せない、足掻いても何も変わらないはずの未来
 けれど一つだけ心に決めたことがある。

「これからも定期的に洗おう」
 どうせ、なるようにしかならない

8/1/2024, 1:57:48 PM

「だーかーらー、一人でいたいの」
「分かんないよ。
 説明して」
「いいから!
 お母さん、早く出て行ってよ!」

 部屋に小学生になる息子の叫びが響く。
 息子が突然私を押し出そうとするけど、その理由に全く心当たりが無い。
 私、なにかしたかしら?
 息子の豹変ぶりに驚きつつも、私は追い出されまいと抵抗を試みる。

「そんなここを追い出されたら、お母さんはどこへ行けばいいの?」
「台所にも行けばー」
「ひどい」
 言葉ではショックを受けたように言いつつも、内心そこまでショックじゃない。

 なぜなら、息子の癇癪は、別に珍しい事じゃないから。
 無理難題を言われたことは一度や二度じゃない。
 普段わがまま放題の息子だけれど、今回のはとびっきりだ。
 なにせ、憩いの場であるリビングから出て行けと言うのだから。
 このエアコンがよく利いた、快適な部屋から……

「お母さん、外に出たら暑くて死んじゃうかも」
 ちら、と上目使いで息子を見る。
 これで意見変えてくれないかな。
 けれど私の願いは届かず、息子はどこ吹く風だ。

「お母さん、嘘泣きは駄目。
 それに、お母さんなら暑くても大丈夫だよ」
 謎の信頼感。
 けれど、お義母さんは大丈夫じゃないです。
 最近暑さがとんでもないので、倒れてしまいます。

「ほら出て行って」
 息子は私を追い出そうとグイグイ押される。
 仕方ない。
 このまま居座っても、息子は諦めないだろう。
「分かったから。
 危ないから押さないで」
 私は息子に押されるまま、部屋の外に移動する。

「入ってこないでね」
 そう言ってピシャリ扉を閉める。
 多分、本人には悪気はないんだろうけど、少し傷つくなあ……

 それにしても、今回は一体何なのか?
 これまでも無理難題を言う事はあったけど、ここまで理由が分からないことは少ない。
 一体何が……

 もしや、あれか?
 全ての親が恐れるあの時期……反抗期!

 うちのコに限ってと思ったけど、ついに来てしまったか……
 でも涙をのんで堪えよう。
 反抗期は子どもが成長した証なのだから。
 息子の成長に感動する。

 けど、感動したのも束の間、私の頭はすぐに違うことを考える。
 台所の暑さ、どうしよう、と……
 台所は暑い。
 エアコンをつけていない上、風通しが悪いので暑くなると、ずっと暑いままなのだ。
 さらに勝手に一人で熱くなった分、余計に暑い
 このままじゃ熱中症になってしまう。
 私は冷蔵庫を開けて、手ごろな飲み物を物色する。
 とりあえず冷たい物を飲んで涼もう。

 おや?
 冷蔵庫の一番下の棚に、見慣れない白い箱が、隠すように置いてある。
 無地でそこそこ大きな白い箱。
 まるでケーキでも入ってそうな箱である。

 私は、使い勝手が悪いので、冷蔵庫の一番下の棚を使っていない。
 代わりに息子が、自分のお菓子を入れるスペースになっているのだけど……
 息子が、変なことを言い出したのも、これに関係するのかもしれない。

 私は中身を確認すべきか悩んで……
 チラッと見ることにした。
 本当はしたくないんだけど、気になって夜寝れなくなると困るので、うん。
 私は優しく箱を取り出し、箱を開けてみる
 そこには、ケーキと『お母さん、誕生日おめでとう』の文字が……

 なるほどね。 
 誕生日サプライズか……
 この前まで、あんなに小さかった子が、そんな事が出来るようンになったんだ……
 時間が経つのは早いものだ。
 
 でもね……
 誕生日、来月なんだよね。
 そりゃ、いくら考えても心当たり無いはずだよ。

 私は心に沸き上がった色んな感情に蓋をして、これからすべきことを考える。
 選択肢として、息子に『今日は誕生日ではない』と伝えることはできない。 
 ケーキを用意するほど気合が入っているのだ。
 おそらくだけど、息子はリビングで誕生日会の準備をしているはずだ。

 そこに残酷な事実を伝えたら、多分息子は泣く。
 そして『お母さん嫌い』って言われることだろう。
 反抗期張りに口を聞いてくれなくなるかもしれない
 私悪くないのに……

 ならば私のとる選択肢は一つ。
 私の誕生日誕生日、今年から今日になります。
 すぐさまこの重大な変更を、仕事中の旦那にラインで送る。
 旦那経由で、息子に事実が伝われば大変な事になる。
 すぐに既読が付き、『了解』の返事が来る。
 これで問題ない

 あとは何も知らない振りをして、息子のサプライズを迎えるだけ。
 学生時代、演劇部のエースの力、見せてやる。
 まったく悟られずに驚いてみせるさ。

 これもすべては、愛する息子のため
 バレて、泣きながら『一人でいたい』なんて言われたら大変だからね。

7/31/2024, 1:10:11 PM

澄んだ瞳

 目覚ましの音で目を覚ます。
 もっと寝ていたい誘惑にかられながらも、目覚ましの音がそれを許さない。
 このまま惰眠を貪りたいが、この暑い中仕事に行かないといけない。
 誰かに変わって欲しいが、これも生きるため。
 俺は観念して、目覚ましのアラームをオフにし、ゆっくりと上半身を起こす。

 ぼんやりした頭で部屋を見渡すと、部屋の隅に俺を見つめる澄んだ目があった。
 黒い黒い穢れを知らない純粋な目………

 メス鹿である。

 普通なら『なんで鹿がここに?』と慌てるだろうが、俺は驚かない。
 この鹿は数週間前からここに居候していて、最初は全く落ち着かなかったのだが、今ではいつもの日常だ。
 事の始まりは数週間前の事。
 仕事帰りに飲み屋でしこたま酒を飲み、泥酔した俺が鹿を口説いてお持ち帰りした。
 人肌寂しいと言う理由で。

 いくら恋人が欲しいからって、見境の無い自分が嫌になる。
 まさか社会人になって、特級レベルの黒歴史が出来るとは思いもしなかった。
 それだけだったら、この無駄に艶やかな毛並みの鹿を追い出し、忌まわしい記憶を封印して終わるのだが、そうもいかない事情がある。
 この鹿、ただの鹿ではないのだ。

「男鹿《おが》さん、起きましたか?」
 眼の前の鹿から、美少女ボイスが発せられる。
 この鹿はよく知らんけど、人語を話せる。
 そして、なぜか美少女にもなれる。
 ラノベでも、こんな設定ないぞ。

 とはいえ、普段は美少女ではなく、今の様に普段は鹿のままである。
 この状態が楽らしい。
 土下座して、『常時美少女モード』をお願いしたことあるのだが、無情にも踏まれただけだった。
 南無。

 なお、話したり変身できる理由を聞いたことがあるが、『鹿ですので』と曇りなき眼で言われた。
 これは聞いてもまともな答えが返ってこないことを察し、それ以来気にしないようにしている。

「今日は行きますよね、デート」
 鹿がデートのお誘い。
 世界広しと言えど、鹿にデートのお誘いを受けるのは俺くらいの物だろう。
 これが鹿ではなく美少女だったらいいのに、といつも思う。
 まあ、デートの時は美少女モードなので、別にそれはいいんだけど。

「残念なんだが、美鹿《みか》。
 今日も仕事だ」
「昨日も一昨日も仕事だったじゃないですか」

 美鹿は憤懣遣る方無く怒っている。
 怒っていると思う、多分。
 鹿の表情はよく分からん。

 美鹿には、仕事の事を何回か説明したのだが、駄目だった。
 鹿には『労働』という概念が無いようだ。
 普段、鹿せんべい食うか散歩してるだけだもんな。
 理解できなくても仕方がない。
 
 とはいえ、毎朝このやり取りをすると、美鹿でなくても辟易するだろう。
 なにせ、お互いの主張が全く通らないのだから。

「男鹿さん!
 私にいっぱい鹿せんべい食べさせてくれるって言うのは嘘だったんですか!?」
「帰りに買って帰ってやるから、それで勘弁してくれ」
 毎日のように買うので、せんべい売り場の人に顔を覚えられた。
 毎回大量に買い付け、かといって周囲にいる鹿にあげることもない奇妙な客。
 多分、妖怪かなんかだと思われていると思う。

「仕事仕事って、そんなに仕事が大事なんですか!
 私と一緒に鹿せんべいを食べるのが、そんなに嫌ですか?
 そういえば、男鹿さんは一度も鹿せんべい食べませんよね」
「鹿せんべいは人間の食べ物じゃねえ。
 鹿の食べ物なんだよ」
「なんですか、食うに値しないって言うんですか?」
「キレすぎだろ。
 くそ、お前に鹿せんべい食べさせるために仕事してるのに、なんだってこんなに言われないといけないんだ」

 俺は、いわれなき罵倒にちょっと苛つきつつ反論する。
 美鹿の鹿せんべいのため、こんなに頑張っていると言うのに、なんで責められているんだろうか。
 美鹿は毎日家でゴロゴロしているだけなのに!

 ……まるで夫婦喧嘩みたいだ。
 でも相手は鹿なんだよなあ。
 マジで何やってるんだろうと、俺は少しだけ落ち込む。

 俺は落ち込みつつ、美鹿からのさらなる罵倒を覚悟する。
 しかし、美鹿からの罵倒は来ず、かわりに俺を尊敬するような目で(多分)見ていた。

「男鹿さん、それホントですか」
「何が?」
 先ほどの態度からは打って変わり、美鹿の様子がおかしい。
 なんだ?
 美鹿は、まるで鹿せんべいを前にした鹿みたいに、ウキウキしている。

「さっき『お前に鹿せんべい食べさせるために仕事してる』って……
 私の――いえ、私たちの鹿せんべいを作ってくれているんでしょう?
 そうなら早く言ってくれればいいのに」
「えっ」

 俺の言葉を勘違いしたのか、どうやらこいつの中で、『俺の仕事=鹿せんべい製造』となったらしい。
 指摘するのも馬鹿馬鹿しいが、とりあえず誤解を解いておこう。
 今すぐ作ってくれと言われても面倒だしな。

 俺はそう思い、美鹿の澄んだ瞳をまっすぐ見て――
「キラキラ」
 澄んだ瞳をまっすぐ――
「ワクワク」
 まっすぐ――

「ああ、鹿せんべいを作ってるんだ」
 はい、嘘をつきました。
 俺のバカ。
 なんで日和るんだよ。

 俺は自分の不甲斐なさに落ち込むが、美鹿はこれ以上ないくらい喜んでいた。
「男鹿さんのおかげで、私たちは美味しい鹿せんべいを食べることができるのですね」
「えっと」
「引き留めてしまい申し訳ありません。
 男鹿さん、早速お仕事へ。
 鹿せんべいを作って――」
 そう言って、美鹿は頭でグイグイオレを押す

「押すな押すな。
 朝の支度がまだだ。
 まだ朝ご飯すら食ってない」
「ごめんなさい。
 あ、今日は私が朝の準備をしますね」
 と、言うや否や美鹿は、ポンという音と共に美少女へと変身する。
「料理作るならこっちのほうが楽なんですよね」
 そう言って、美鹿は台所に向かう。
「その代わり、たくさんの鹿せんべい、お願いしますね」

 美少女となっても澄んだ瞳の美鹿に見つめられ、嘘を貫き通すしかなくなった俺なのであった。

7/30/2024, 12:51:50 PM

「出ちゃダメ。
 危ないわ」
「離してお姉ちゃん。
 たとえ嵐が来ようとも、私は行かないといけないの」
「考え直しなさい!
 死ぬわよ」

 私は今、妹と玄関で押し問答をしていた。
 外は台風が近づいているため、風と雨がとんでもないことになっており、扉越しでも轟音が聞こえる。
 普通はこんな天気では誰も出たがらない。
 しかし、今妹は普通の状態ではなく、外出しようとしていた。

 なぜこんなにも妹は外に出たがるのか?
 事の発端は占いである。
 妹は占いが好きで、控えめに言って占い妄信者だ。
 お小遣いをためては良くお気に入りの占い師の所へ行くのだが、その占い師が運命の人に会えると吹き込んだ。
 今日という日付指定で。
 くそ占い師め、余計な事をしやがって。

 占いの結果を事実として受け止める妹にとって、信じない選択肢など無いのだろう。
 だから何としてでも、運命の人に出逢おうと外出しようとするのだ。
 私は妹の趣味に口だしするつもりはないけど、今日だけは別。
 悲惨な結果(物理)が待ち受けているのは明白なので、止めるしかない

 両親はというと、仕事先で交通機関が止まり、未だに帰宅出来ていない。
 つまり今妹を止められるのは私だけ。
 母さんがいれば、げんこつ一つで解決するのに……

「ずべこべ言わず、中に入りなさい」
「お姉ちゃん、嫉妬しないで。
 今度、占いで聞いてみるから。
 お姉ちゃんの運命の人」
「余計なお世話!
 彼氏いるからね!」
「え、マジ!
 誰?私の知ってる人?
 紹介してよ!」

 突如、妹の興味が『運命の相手』から、『姉の彼氏』にシフトする。
 妹は占いと同じくらいコイバナが大好きなのだ。
 妹の色ボケ具合には呆れるが、これはチャンス。
 この話題をエサに部屋に引き込み、閉じ込めてやる。

「姉ちゃんの彼氏を詳しく話してあげるから、部屋に入りなさい」
「分か―でも、運命の人が……」
 占いの事を思い出したのだが、再び外を見る妹。
 外に出ようか、私の話を聞くかと悩んでいるだろう。
 しかし手遅れだ。
 こうなってしまえば、いくらでも言い包めることができる。

「占い師の人に『今日、運命の人に出逢う』って言われたんだよね。
 どこで出会うかは聞いてる?」
「ううん、聞いてない。
 それがどうしたの?」
「だったらなおの事、家にいなさい。 
 きっと運命の相手に出逢えるわ」
「どういうこと?」
「占い師は言ったんでしょ?
 『今日出逢える』って。
 だったら出逢えるわ。
 あんたが外出しようが家にいようがね」
「それは……」

 悩んでる悩んでる。
 今、妹の頭の中で会議が行われているのだろう
 だが、けれど無意味。
 ここで畳みかける。

「それにね、出逢ったっとして、びしゃびしゃの状態で会うの?」
 妹は『はっ』とした顔で私を見る。
「出会えても、そん状態じゃ親しくなれるかは分からないわ。
 だったら、部屋の中で綺麗にお化粧して待ってましょう。
 私の自慢の妹を、とびっきり可愛くしてあげる」
「お姉ちゃん……」
「私の彼氏の話も聞きたいんでしょ。
 お化粧しながらゆっくり話してあげる」
「……分かった」

 勝った。
 これで妹は、二度と外に出たいと言うまい。
 天気が落ち着くまで適当に話をして、ジ・エンド。
 良かった。
 コレでゆっくり安める。

「じゃあ部屋に行こうか?」
「うん」
 妹を連れて部屋に戻ろうとした瞬間、ポケットに入れていたスマホの着信音が鳴る。
 電話は、彼氏の母親から。
 何かあったのだろうか?
 妹に「少し待ってね」と言ってスマホの通話ボタンを押す。

「もしもし」
「もしもし、悪いんだけどうちの息子に変わってくれる?
 電話に掛けても出ないのよ」
「こっちにはいませんよ」
「あら、入れ違いで帰ったのかしら?」
「いえ、今日はこの天気ですし、会う約束もしてないですね」
「おかしいわね。
 少し前にした電話で、彼女の家にいるって聞いたんだけど……」
「男友達の方に行ったのでは?
 でも嘘つく理由ないしな……」
「おかしいわねえ。
 電話越しに女の子の声が聞こえたから、てっきり――」





「お姉ちゃん、出ちゃダメ。
 危ないわ」
「止めないで。
 私はあの浮気野郎を制裁しないといけないの!」
「外は風が強いから考え直して」
「たとえ嵐が来ようとも、あの浮気野郎は絶対に許さないんだから」

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