私は一人の時間が本当に好きで、でもそれは家族や友達がいるから一人の時間が欲しいと思っているだけなんだと思う。
本当の意味で一人になってしまったらきっと寂しくて、一人になりたいと思っていた自分を後悔するのだと思う。私への予言だ。当たる。
でも正直、人と一緒にあれこれ遊びに行ったりするのが得意ではない。
前までは遊びに行くのは楽しく思えていたけれども、今はもう億劫でならない。家で好きなことしたり、観たりしてる方が断然楽しいと感じてしまっている。
最近じゃショッピングすらも面倒だと感じている。
……いや、これは本格的にやばいのではないか。
物欲もなくなっている時は、結構まずい。
それはまた別問題として、大人になって、人に合わせることに疲れるようになった。一人でいる時は一人にさせてほしいと思ってしまう。
LINEが来てもすぐには見ないし、急に予定が入ると大人気なくも機嫌が悪くなってしまう。
いつからこうなってしまったのか。わりと小学生くらいからこんなマインドだったかもしれない。生粋だな。
一人の時は楽だ。好きなものを観て癒されている。
そうなのだ、癒されることを私は求めている。
軽い力であっという間にふわふわの粉になってしまうチーズみたいな心をしているのだ。頑張って耐えようとしてもすぐにさらさらとすり減ってしまう。
癒されたい。おそらく人一倍ゲージの減りが早い。癒しがないと、自分を保てない。
癒し達よ本当にありがとう……。おかげでなんとか保てています。
犬を飼っているが、待ち侘びた顔されると本当に弱い。
どうでもいい時の目と、待ってました!という時の目は全然違う。
もちろん人間も違うだろうが、犬、猫たち同じ言語じゃない子たちとなると、俄然可愛さが増す。
何と言ってるか、何を言いたいか分からないから、感情を読みたくなるからかもしれない。
きゅるっとした目で「散歩の時間だな!待ってたぞ!」と飛び起きられるとこっちも「待たせてごめんよ!」となる。
寂しがってる時に離れないといけない時の、あの寂しげな目もだめだ。
言葉が通じ合わないからこそ、瞳や視線で通じる部分があるかもしれない。
それは言葉が通じ合っていても、きっと必要な部分なんだろうと思う。
ここ数年、毎年毎年、大雨台風酷暑に大雪。
自然の中で人間やら他の生き物は本当に小さな存在だと思う。
天候が変わるだけで私たちは簡単に追い詰められる。
そんな環境の中頑張って生きてるの偉い。
最近ここのおかげでほぼ毎日何かを考えて書くようになった。
言うて数日だけれども、なにかを書いて残しておくことをするのが久しぶりなので楽しい。
TwitterもわりとROM専になりがちで、毎日1ツイートはするぞと決めても、リプライが来たら会話しないといけないのが面倒でツイートしなくなってしまう。
リプ返しないのに日常ツイートができないから、日常ツイートする為にリプ返する。
LINEも返信が面倒。1人でいる時くらい1人を満喫させてくれと思ってしまう。そんなこと言えないけれど。
でも本格的に一人ぼっちになったら、他の人に頼ってしまうんだろう。都合のいい奴だと思う。だから、一応頑張って返信している。頑張るって何だ。
SNS向いてない。重く考えすぎ。じゃあオフラインで日記書けばいいと思うけど、それだとなぜか続かない。
こだわり強すぎ、めんどくさすぎ。
そんな私がゆるく毎日書けるところがあるのが嬉しい。繋がりもなくて楽。でも誰かが読んでくれているのが分かって嬉しい。
最近めっきり創作物も書けなかったけど、投稿の度に文章を完結するようになったからか、ふと書けるようになってきた。要リハビリ。
いつもとは全然違うことを書くので普通に気分転換になっている。
書くのって楽しい。
ここはお祭り会場みたいだ。いろんな出店があって、色々まわれる。そして自分も出店側ができる。
ただまわってるだけで楽しい。
いつまでいれるか分からないが、たくさん楽しみたい。
不安な時、空に向かってお願い事をする。
「あの案件うまくいきますように!」だとか「明日の発表失敗しませんように!」だとか、マジの最終手段にお祈りさせてもらっている。
特定の神様に祈っているというよりも八百万の神様にお願いしている感じだ。(私今まで八百万をヤオロズって思っていた。変換出なくて気付いた)
不思議と気持ちが落ち着くのだ。
私の元には神様は舞い降りてきてはくれないけれど、とても有難い存在です。
なんだか神様の話は恐れ多いので、ここまで。
神様ってたくさんいて興味深い。