生まれる前に相談しましたよね…
「今度はどんな人生を生きるのかな…」
もうすぐ世に出るのだから、
早く予定を組んで提出しないと出産に間に合わなくなって、君の気に入った体を借りられなくなるよ…
「そうですね…安泰が良いか波乱万丈が良いか?やっぱり悩みますよね…」
「そうだな学びが多いのは波乱万丈だぞ」
「やっぱり…」
最後の最後まで悩んで決めた今の人生…
一度決めたカリキュラムは来世までは
変えられないのだ…
「決めたか…頑張って来いよ」
「はい、行って来ます神様!」
「じゃ、予定表はわしが預かろう」
【神様だけが知っている…】
人生の課題を神様に預けて私は眩しい光の中に旅立った…
と…言う訳でとんでもなくアクシデントが
多い人生を生きている私であるww
今の日本の危うさにどれくらいの
人々が関心があるのだろう…
「この道の先に」当たり前に幸せが
待っていると思い込んで生きている
人々はどれくらいいるのだろうか…
真実は伏せられ、情報弱者が溢れている
それが今の現状のように思えてならない
メディアはスポンサーの顔色を伺い
要望通りに番組を作り…
国は自分たちに不都合な事は全て
「根拠がない誤情報だ」とネットからも
全部消す法律を通したそうだ…
何かがおこれば全国に一斉に指示を出す
「嫌だ!」は通らない乱暴な命令だ…
今の日本は民主主義でも何でもない
まるで、戦時中と変わらない…
それが、今の私の正直な感想だ…
昔、住んでいた場所は、
自転車で30分も走らない場所に海水浴場があった。
真夏になると海の家が建って皆が個々に
楽しく時間を過ごした。
今は日焼けは天敵で悪のように嫌われて
いるが、当時はいかに短時間でこんがり
小麦色に日焼けをするかが重要だった。
だから、朝から行ってさんざん泳いで
サンオイルを友達と塗りあって焼いた…
帰りはわざと自転車をおして西陽を浴びながら帰宅した…
「日差し」は天然の日焼けサロンだ
上手くいくと一日で大変身出来た
休み明けに「凄いね〜焼いたね〜」の
言葉をかけてもらう事が嬉しかった
現在の私と言えば…
毎日の花の水やりにさえ完璧に日焼け
対策をし、とにかく焼かない
若かりし無防備な私がやらかした日焼け
は長い時間かけてシミに大変身💦
お高いシミ取り化粧品を買って毎晩つける
が効果は今ひとつ…
う〜ん💦💦💦悩ましい…やっぱり日焼け対策は必要だったな…
小学2年生…夏休み明けた二学期の初日
私の居る教室には同級生たちが40人位いた
けれど私はひとりぼっちだった…
今の私の立ち位置は「転校生A」だ…
「ね〜、ね〜、どっから来たの?」
運動場側から廊下側まで…目…目…目…
「窓越しに見えるのは」同級生たちの
好奇心いっぱいで固まった視線だった
入れ替わり立ち替わり途絶える事のない
休み時間の動きは皆が私に飽きるまで続く
8歳の頭の中で考えていた事は…
「動物園のお猿さんみたいだなぁ…私」
元より、極小の分校育ちだったし
兄が3人の末っ子だった私は、体は小さかったがメンタルは強かった…
けれど転校を言い渡されたのはわすが1ヶ月
程まえだった…
そして今日…母は私に言った
「街の子はね、皆お上品なんだよ、
言葉には十分気をつけるんだよ」と…
だから私は黙って品よくお上品に振る舞うべく自分を取り繕った…
しばらくして耳にしたのは…
「東京から転校生がきた」だった…
何で?あ〜…そうか頑張って東京っ子みたいに話してたからかなぁ…
しかし、2年生の頑張りもそう長くは続かない…私が野生児とばれるまでには
そう時間は長くかからなかったのだww
私は美容師という職業からして
他のお仕事の方より沢山の人と出会い
そして別れていると思う…
振り返ってみれば数万人のお客様と
密に時間を過ごす機会を与えられた
日本においてコンビニと美容室は
とても数が多いらしい…
そしてネット情報によれば…
20年以上続いている美容室はわずか
0.3%しかなく、3年以内には90%が
閉店していく…そんな厳しい現実がある
私がずっと美容師として生きてこられた
のは、決して自分自身の力ではない。
そこには、やはり美容師とお客様と言う
運命の「赤い糸」が必ずあったと思う。
そして、不思議な事に1人減ると新しい
出会いが訪れ1人増える…
そんな繰り返しを重ねて今がある
神様がいるとすれば、私は多くの人から
沢山の事を学べ…
それが人生の課題なのかも知れない。