【既読がつかないメッセージ】
「今日は暑かったね。熱中症になりそうだったよ。」
「今日は雨が降ったら急に涼しくなったね。風邪を引かないよう気をつけなきゃ。」
「今日は道端で偶然田中さんに会ったよ。覚えてる?PTAで一緒だったあの田中さんだよ。髪型変わっちゃってて最初全然気づかなかったの!」
並ぶ、既読がつかないメッセージ。
あの日を最後に、あなたからは永遠に既読がつかなくなってしまった。
私はそれを信じたくなくて、いつかあなたからメッセージが返ってくるんじゃないかって思えてならなくて、日記のようなメッセージを送り続けてる。
この世界のどこにももうあなたがいないなんて、嘘でしょう?
ねえ、応えてよ。既読つけるだけだっていいからさ。
ポタポタとスマホの画面に水滴が落ちる。私は慌ててそれを拭ったけれど、次から次へと落ちてきて、止まらなかった。
私は諦めて天を仰ぎ、あなたの名前を呼びながら泣いた。
やっぱり返事はなかった。ただ、それが痛かった。
【秋色】
夕方になって、すーっと涼しい風が吹いてきた。
まだまだ日中は暑いけれど、こうして夜に向けて涼しくなるのを感じると、秋が来たんだなって実感する。
空は茜色に燃えていて、アキアカネも飛んでいる。
いつの間にか秋色。季節の色は、確実に変わってきていた。
【空白】
私には、空白の1年がある。それは本当に文字通りの空白で、その1年間の記憶が全くないのである。
きっかけは交通事故に遭ったことだったらしい。6月のことだった。私は事故に遭う前のちょうど1年分の記憶を無くしていた。高校3年生の一学期の半ばから、大学に入ってしばらくの記憶が空白になってしまったのだ。
怪我もそれなりに酷かったが、それは入院して治療しリハビリすれば徐々に良くなっていった。しかし、記憶の方はどうもうまく回復せず、空白のままだった。
怪我が治って退院しても、記憶は戻らず。事故から半年、私は大学を休んだ。
なにせ、私にしてみれば、知らない間に受験して知らない間に合格して知らない間に入学していた大学である。
空白の記憶の為に困ったのは、大学のことだけではなかった。もう一つ、重大な困りごとがあった。それは、恋人のことである。
どうやら、高3の時に付き合い始めて同じ大学の同じ学部に進学したらしいのだが、私は彼をどうして好きになったのかわからなかった。クラスではかなり目立たない方の人で、私とは接点なんてなかったはずなのである。それも、両親には交際のことを話していなかったらしく、お見舞いに来た彼に、両親はひどく驚いていた。ただ、彼は真面目な好青年だったため、両親はすぐに彼に絆されていた。私も、彼の良いところは分かったけれども、なぜ付き合ったのかは全く思い出せなかった。
空白を思い出せず、苦しむ私に、彼はいつも、
「無理に思い出す必要はないよ。記憶がなくたって、僕は君のそばにいるから」
と言ってくれた。
それから5年。空白を抱えたまま私は社会人になった。彼との付き合いもまだ続いている。
そんなある日、彼とデートしていた時に、高3の時のクラスメイトと偶然再会した。
彼女は、まず、彼の変わりように「えー!垢抜けたね!」と驚いていた。
そして、私が彼と付き合っていることを告げると、それ以上に驚いていた。
「え、ふたりって接点あったの?付き合ってるなんて信じられない!」
彼はその言葉に、「僕ら、秘密主義だったからね」なんておどけて返していた。
高3の思い出話は、主に彼が相手をして、私は適当に頷くことで乗り切った。
元同級生の彼女と別れて彼とふたりで歩きながら、私は思った。ずっと彼との大切な思い出を忘れているなんて寂しいな、と。
彼にもその気持ちを口に出して伝えてみたが、彼は相変わらず「無理に思い出さなくていいんだよ」と言った。
「その頃の思い出がなくたって、今僕らはそばにいて楽しい。それでいいじゃないか。僕はこうして大好きな君と一緒にいられる今が幸せだよ」
「だから、思い出さなくていいんだ。そのままの君が好きだよ。ずっと一緒にいようね」
そのときの彼の笑顔は、何故か少しこわかった。言葉以上の感情が彼の目に渦巻いている気がしたのだ。でも、次の瞬間、何も返せなかった私を心配して覗き込んでくる彼の顔はいつも通りだったから、私は安心して、頷いた。
欠けた私を許容してくれる彼は、唯一無二の存在だ。だから私はきっとこれからも、空白を抱えながら彼と歩むのだろう。その空白に、いったい何があったとしても、知らぬまま。彼が許すまま、進むのだろう。
【フィルター】
あなたを喪ってから1ヶ月半が経った。
あなたのいない世界に少しずつ慣れてきて、最初の頃は泣いてばかりだった私も、泣くことはほとんどなくなった。
あなたがいなくても世界は回る。
それが世界の当たり前。当然のこと。
わかってる。わかってるけど――。
ふと、あなたを思い出すとき。私の世界は白黒のフィルターを通したみたいに、色彩がなくなる。
世界は回っても。
日常を過ごしていても。
どんなに心が慣れてきても。
あなたを喪った穴が私の中から無くなることはない。
だって、ずーっと愛してる。
色彩を無くした世界の中で、私は目を閉じる。瞼の裏に、あなたの笑顔が鮮やかに蘇る。
寂しい。会いたい。そう思うのと同じくらい、「ありがとう」と「大好き」が強く胸の中に響いてる。
私は愛されてた。その確信がある。それほどに愛してくれていた。
ねえ、あなた。ありがとう。大好きよ。
そうしてしばらくあなたを思い出して、ゆっくりと時間を過ごして目を開けば、白黒のフィルターは消えて、世界は色を取り戻してる。
色を取り戻した世界で、私はまた日々を過ごしていく。
悲しみを抱えて、生きていく。
【雨と君】
「あっ、五月さん!」
商店街の閉じたシャッターの前、短い庇の下で雨宿りしていた私の耳に、鈴の音を鳴らしたような可愛らしい声が飛び込んできた。私は俯いていた顔を上げた。
そこにいたのは、友人の陽毬ちゃんだった。白いワンピースを着て、薄桃色の、縁にレース模様の刺繍が入った可愛らしい傘をさしている。その腕にはエコバッグがぶら下がっていた。
「陽毬ちゃん、偶然だね。買い物帰り?」
私が問いかけると、陽毬ちゃんは頷いた。そして、私の隣に並ぶように庇の下へ入り、傘を閉じた。
「こんな雨の日に五月さんに会えるなんて、嬉しいな。覚えてる?わたしたちが出会った日もこんな雨だったこと」
周囲に雨音が響いているのに、陽毬ちゃんの声は不思議とよく聞こえた。
「覚えてる。今日みたいに急に雨に降られて困ってたところを、陽毬ちゃんに助けてもらったんだよね」
ちょうど1年前くらい。同じように急に雨に降られて雨宿りしていた私は、困り果てていた。何故なら、その雨が夜遅くまで止まないことをスマホの天気予報で知ってしまったからである。濡れて帰るしかないかぁ、と嫌な気持ちになって落ち込んでいたところに「あの!よかったら傘入っていきませんか?」と陽毬ちゃんは話しかけてくれたのだ。私は最初遠慮したのだけれど、話すうちに割と近所に住んでいることがわかり、彼女のご厚意に甘えさせて貰ったのだ。
その日、会話をしながら、何となく陽毬ちゃんとの縁をその場限りにしてしまうのが寂しくて、連絡先を交換した。今では休みが合えばお茶をしたりショッピングに行ったりして共に過ごす仲になった。
しばらく、思い出話や近況、最近見た動画の話など、他愛のない話で盛り上がった。
「ねえ、五月さん。今日もあの時みたいに相合傘して帰る?
あと……もしよかったら、うちでお茶していかない?」
話が一段落したとき、陽毬ちゃんははにかんで言った。自宅でのお茶の誘いは初めてだ。お互いの家の場所はよく知っているのに、中に入ったことはなかった。
私は一瞬迷ったけれど、頷いた。陽毬ちゃんのことをもっと知りたいといつも思っていた。また一歩、陽毬ちゃんに近づけることが嬉しかった。
「そうと決まれば!」
陽毬ちゃんは気合いが入ったように元気な声で言いながら、傘を開いた。
「どうぞ、五月お姉さま」
そして、いたずらっぽく笑って、私を優しく傘の中に招く。
私も笑いながら、彼女の傘の中へ入った。
体温が伝わる距離で、2人で歩き出す。
歩きながら、ポツポツと会話を交わす。
その度に心地よい鈴の音が響いて、胸にトクトクと幸せが広がった。