つまらないことでも
私が持っているエネルギー量は
多分他の人と比べて少ない
不要なところでエネルギーを使っている部分もあるのだとは思うけど
それを差し引いても多分少ない
でも、好きなことには文字通り
何時間でもエネルギーを費やせる
アウトプットに比べて
インプットのエネルギー消費は低いけど
時間が長くなれば当然量は増える
私の好きなことは
誰かにとっての「つまらないこと」だ
そんなことに何時間も使うなんて、と
思う人もたくさんいるだろう
でも私だって
他の人が楽しんでいも
何が楽しいのかわからないものなんて山ほどある
そういうものなのだ
自分にとってつまらないことでも
誰かの好きかもしれない
誰かにとってつまらないことでも
私が楽しいと感じることと関係ない
自分でエネルギーを注ぐほどに楽しいと思えるものがあるのは
幸せなことだ
だから
私は自分の楽しいを否定しないし
自分にとってつまらないことでも
誰かのたのしいなのかもしれないから
できるだけ否定したくないな、と思う
目が覚めるまでに
久々に学生時代の夢を見た
相変らず忘れ物をして
走って家まで取りに行く夢だった
あの時出来なかった
毎食後食器を洗うとか
部屋を整頓しておくとかそういうことが
気がつけば今は何となくできてる
もちろん100%では全然ないけど
あの頃ほど乱れることはなくなった
今のことも
いつかこうやって思い出すのかな
今苦手なことも
気がつけばできるようになるのだろうか
次の夢までに
私は何かできるようになってるのかな
目が覚めるまでに
少しは成長していたいな、と思う
病室
懐かしいな
もうすぐ6年経つ
色んな病室を経験したけど
どれもぼんやりとしか覚えてない
狭かったあのベットも
窓の広かったあの部屋も
記憶はあるのに
だいぶ遠のいた気がする
一番長くいた病室は
とても古い建物だった
窓には、格子があった
初めはなんだこれって思ってたけど
過ごしていくうちに気づいた
あぁこれは文字通り
命を守るための格子だ
この格子があるから
私たち患者は飛び降りれないんだ、と
その建物はもう建て変わって
綺麗になったはず
あの格子も
きっと新しい病室にはもうない
古いゆえの直接的な構造だ
当然改良されていく
戻りたい場所では無い
でも
私は多分一生あの場所を忘れない
私だけの場所ではないけど
何にも変え難い記憶と結びついた場所
明日、もし晴れたら
ずっと前に友達と旅行に行った時、
「明日が楽しみすぎて」という名前の
パン屋さんに行ったことがある
当時も今も思う
なんて素敵な言葉だろう
それは
未来が楽しみすぎるということだ
生きていることを
生きていけることを
嬉しいと思えるから出てくる言葉
未来は怖い
生きていくことは怖い
だけれども
嬉しいや楽しいもきっとあるだろうと
心のどこかで思っているし
それを見つけたいなと思っている
もし、明日晴れたら
どんな楽しいことをしようかな
だから、1人でいたい
好きな人達といる時は楽しいけど
基本的に人は好きじゃない
誰かといる時には常に不安があるから
1人でいる時よりもエネルギーを消費する
歳を重ねるごとに
それがだんだんと分かってきて
人付き合いは断捨離されていった
善し悪しは色んな意見があるだろうけど
少なくとも私は
前より少し生きやすくなった
そうやって気がつけば
1人でいることが増えて
1人で楽しめることも増えていった
幸か不幸か
私には1人で楽しいこと
1人だから楽しめることがたくさんあった
単純に、楽しいから。
だから、1人でいたい。